『江戸時代の通訳官』
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江戸時代の通訳官 片桐一男 著
[レビュアー] 平川祐弘(東京大名誉教授)
◆オランダ語能力どの程度
世間は通訳はきちんと訳していると思いがちだが、実態はどうか。今は録音すれば、通訳の力のほどは確かめ得る。しどろもどろの通訳も多い。昔、外交官とか教授とかが正確に通訳しているような顔ができたのは、録音装置が未発達だったおかげで誤魔化(ごまか)せた面もあった。しかし社交会話はともかく、技術・商務・外務の通訳となれば正確さが求められ、いいかげんな真似(まね)はできない。
では、江戸時代の通訳官はどの程度オランダ語ができたのか。片桐一男氏の新著はそれを探ろうとしたが、残念ながら録音による証拠提示のような決定打は出なかった。
著者は阿蘭陀通詞(おらんだつうじ)の単語帳、会話書、辞書編纂(へんさん)、文法書などを例示する。それは幕末期の福沢諭吉や森鴎外などが習ったのとほぼ同じで、文法と読本の二本立てで行われている現在の大学教養部の第二外国語教育と同じだったことがわかる。しかし通詞の辞令や職階やらを羅列的に例示しても、今日の教授・准教授の職階が外国語能力を示さないのと同様で、肝心のところはわからない。
それよりも文中にまじる『蘭学者相撲見立番付』とか、出島の商館長ヅーフからフランス語を、ブロムホフから英語を学んだ小通詞がいたという逸話の方が私には面白い。読むだけが能だった江戸・大阪の蘭学者とは違う長崎通詞の特色が出ている。英仏語の授業そのものがオランダ語を介して行われたのだから、通詞の学力のほどが推察されよう。幕末期にオランダ語から英語への切り替えも容易になった。
彼らの書く能力を示す資料の一つは、本書に拾われた通詞たちのオランダ人宛ての手紙だろう。だとすると内容を紹介するだけでなく、手紙のオランダ語そのものの語学的水準を吟味してこそ意味のある学術書となり得るのではあるまいか。今日の蘭学史研究に避けて通れない問題は本格的なオランダ語学習にちがいない。
(吉川弘文館・3780円)
<かたぎり・かずお> 青山学院大名誉教授。著書『知の開拓者 杉田玄白』など。
◆もう1冊
木村直樹著『<通訳>たちの幕末維新』(吉川弘文館)。オランダ語だけでは通用しなくなった激動期を通詞たちがどう生きたかを描く。