狂気とエロスが画面に渦巻く!乱歩コミカライズ作品『パノラマ島綺譚』|中野晴行の「まんがのソムリエ」第9回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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江戸川乱歩の代表作を完全コミカライズ
『パノラマ島綺譚』脚色・作画:丸尾末広 原作:江戸川乱歩

 秋は本を読むのに一番適した季節なんだとか。毎年、10月27日から11月9日まで、公益社団法人読書推進協議会が実施している読書週間も今年は70回目。公共図書館や学校図書館、書店などではさまざまなイベントが行われるようだ。
 たしかに、この時期になると本が読みたくなる。涼しくなったからなのか、「読書の秋」というコピーに踊らされているのか。よくわからないが、読みたくなるのだからしょうがない。
 で、何を読むか? エンタテインメント性が高く、知的なものとなると、やはりミステリー。翻訳物や新本格、若手のコージーミステリーもいいが、秋の夜長にひとりで読むのなら、江戸川乱歩や横溝正史が書いた怪しい気配が漂う探偵小説がいい。
 今回は、江戸川乱歩の名作を原作としたマンガを取り上げよう。丸尾末広の『パノラマ島綺譚』である。マンガだって読書なんだよ。明智君。

 ***

 乱歩作品のコミカライズは、「少年探偵団シリーズ」を筆頭にさまざまなマンガ家が取り上げている。中でも忘れられないのが、1970年に『週刊少年キング』が当時の人気マンガ家を起用して競作させた「江戸川乱歩恐怖シリーズ」だ。横山光輝の『白髪鬼』、桑田次郎の『地獄風景』、古賀新一の『屋根裏の散歩者』などがラインナップされて、石川球太の『人間椅子』は子どもだった私にはちょっとしたトラウマになった。なにしろ、家具職人の男が自分が作った椅子の中にかくれて、椅子の革ごしに女性の感触を楽しむ、というお話。少年誌用にはなっていたのかもしれないが、十分にエロかったのである。
 このシリーズでも、『パノラマ島綺譚』のコミカライズは実現されなかったはず。
『パノラマ島綺譚』は映像化が難しい、と言われてきた作品だ。離島に築かれた人工の楽園という破天荒な設定は、文章で読むとゴージャスで耽美的なイメージが浮かび上がるけど、映画やドラマになると、たちまち安っぽい張りぼての作り物にしか見えなくなる。明治中頃から昭和のはじめに各地で公開された実際のパノラマも、キッチュなものだったのかもしれない。しかし、本物と見まがうようなものであってほしいのが乱歩ファンの心理というものだ。
 そんな乱歩ファン長年の夢をかなえてくれたマンガが、この丸尾版『パノラマ島綺譚』というわけなのだ。
 丸尾といえば、大正から昭和初期の雑誌小説の挿絵を思わせるレトロでグロテスクな絵柄を駆使したパロディ作品を描くマンガ家、という印象があったが、本作は大まじめ。乱歩の原作のストーリーを忠実になぞりながら、完璧なビジュアル化に挑戦している。

 お話の舞台になるのは昭和のはじめ。
 学生時代から双子のように似ていると言われていた紀州の富豪・菰田源三郎が急死したことを知らされた貧乏作家の人見広介は、菰田の資産を手に入れる方法を思いつく。自分が死んで、菰田として生き返ればいいのだ。自らの自殺を偽装したうえで紀州まで出かけた人見は、菰田の墓をあばき、棺桶の中の死体との入れ替わりに成功する。
 死人を棺桶から取り出し、腐った指から指輪を抜き、治療した歯まで入れ替えるというシーンは文章として読んでいてもグロテスク極まりないが、丸尾の絵でみると、グロテスクを通り越した何かが、読み手の眼球からどろどろ浸み込んでくる。
 菰田として生き返った人見は、菰田の莫大な財産をつぎこんで、夢想し続けた人工の楽園建設という大事業に着手する。
 沖の島という離島を手に入れ、もともと住んでいた漁師たちを移住させると、いよいよ建設工事が始まる。この工事の模様を描いた絵からして実にリアル。これを実写映画で表現するのは、CGを使っても難しいだろう。
 そして、完成を目前にしたパノラマ島の描写のすばらしさには目を見はる。本来のパノラマは景色を描いた絵で客席を取り囲み、手前に人形を置き、本物の木や土で臨場感を出したまがいものだ。しかし、人見がつくりあげたパノラマ島は自然を巧みに歪め、人工の滝や湖、神殿を配し、楽園に暮らす妖精たちを役者たちが演じる……生きたパノラマだ。この幻の国を丸尾のペンは余すところなく描き出していく。
 それは美しくも猥雑な世界。おそらく、乱歩が生きていてこのマンガを読んだら、よくぞここまで描いてくれた、と狂喜したに違いない。そう思わせる画力だ。
 人見にとって唯一の不安は、菰田の妻・千代子のこと。彼女には自分が偽物であることが分かっているのではないか、という疑心暗鬼が彼を苦しめるのだ。そして、楽園に悲劇が起きる。まさに「現世は夢 夜の夢こそ真実」(乱歩)……。
 明智小五郎の登場場面も含め、乱歩の世界が一部の隙もなく描き出されている。マンガの底力を感じさせてくれる名作だ。

中野晴行(なかの・はるゆき)

1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2016年9月28日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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