「震災」の記憶と、脳の無い男の謎はリンクするか…『レインマン』星野之宣|中野晴行の「まんがのソムリエ」第12回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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「神の不在」「テクノロジーと幸福」に正面から取り組んだ意欲作
『レインマン』星野之宣

 特撮映画『シン・ゴジラ』やアニメ『君の名は。』など、2011年3月11日の東日本大震災とその直後に起きた福島第一原子力発電所のメルトダウン事故を、重要なテーマとして取り込んだ作品が増えてきた。未曾有の大災害から5年。当時は茫然自失状態だったクリエーターたちがようやく、震災や原発事故が私たちに与えた有形無形の影響から何かを見付け、物語にまで昇華させるメソッドを手に入れ始めたのかもしれない。
 今回紹介する星野之宣の『レインマン』もそんな「震災後の物語」の一つに数えていいだろう。

 ***

 主人公の雨宮瀑(たき)は大学生。幼い時に父を亡くし、母の女手ひとつで育てられ、成長してからは単身上京して大学に通っていた。あるとき、母の危篤を告げられて故郷の病院に駆けつけると、彼女は「自分の声だけ聞きなさい。人の考えを簡単に信じちゃいけないよ。」という奇妙な言葉を残して息を引き取る。そして、瀑の後見人を名乗り現れた弁護士・穿地(うがち)は母の遺産を相続する条件として、賽木(さいき)超心理学研究所という研究施設で働くように告げる。そこは、最新のテクノロジーを使って心霊現象の謎を解こうとする民間の機関だった。
 新たにスタッフになった瀑は、10年前の豪雨で崩れた土砂に村全体が押し流され、いまだに行方不明者が埋もれたままの心霊スポット・犬呻村(いぬめきむら)の調査に出かける。これは津波に流され、いまだに多くの行方不明者がいる現実の被災地の暗喩だろう。
 降りしきる雨の中、原因不明の電源トラブルで一旦引き上げることになる研究所の面々。瀑は、帰り道の高速道路で橋の上に自分とそっくりの男の姿を見つける。
 次の調査先で、再びその男の姿を目にして後を追った瀑だったが、男は漣(れん)と名乗ると、高層ビルの屋上から飛び降りて死んでしまう。
 男は、瀑と生き別れになった双子の兄弟だった。そして、検死の結果、驚くべきことが判明する。漣には脳がなかったのだ。そして、瀑にも脳がないことがわかる。脳がない瀑や漣はなぜ生きることができるのか……。
 やがて、巨大団地で発生したポルターガイスト現象の調査に向かった瀑は、そこで漣の「霊」と再会する。「霊の漣」は自分を「雨(レイン)と呼んでくれ」と言った。そして、レインに導かれた瀑は体外離脱を経験する。
 冒頭のあらすじだけでは、単純なオカルト物のサイキックアクションと思われるかもしれないが、最新の脳科学や量子力学、AI技術などを盛り込んだ構成は緻密で、極めて論理的だ。霊現象と人間の脳の関わりを科学的に解き明かしていくプロセスが面白い。多元宇宙や量子コンピュータなどSFとしての道具立てもしっかりしている。

 では、なぜこの作品が東日本大震災とリンクしていると考えられるのか。
 東日本大震災が提示したひとつの問題は「神の不在」だった。あれほど多くの無垢なる命が一瞬のうちに奪われたとき、神がいるのならなぜ救えなかったのか。神はいないのか。そもそも神とはなんなのか?
 作品の中では、左脳の言語野に相当する右脳のある部分――どんな役割を果たしているのかわからない部分がヒントになっている。賽木所長は瀑に、そこで人は「神のお告げ」を聞いたり「霊感」を得たり、「幽霊」を見たりするのではないか、と説明する。
 それを裏付けるのが、賽木超心霊研究所で実験が積み重ねられている、人間の念が量子レベルでの偏りを導く「ミクロPK(念力)」の存在だ。無意識の感情の高まりが「意識しない念力」となって量子レベルである偏差を生む……地球規模で最も大きな偏差が出たのは、「9・11テロ」のときだが、東日本大震災のときにも偏りは起きていた。これが右脳と関係しているというのだ。
 一方で、瀑を体外離脱に導いたレインは「脳という制御器官が無くなれば意識の力は途方もなく拡大する」と言う。意識と無意識のどちらに「神」があるのかと想像を巡らしてみると面白い。

 そして、震災が突きつけたもうひとつの問題――進んだテクノロジーは果たして私たちを幸福にするのか、という疑問にも作者は正面から取り組んでいる。
 第2巻に登場する脳機能シミュレーションロボット「Bレイン」の暴走は、コントロールを失ったまま炉心溶融を続けた原子力発電所を想起させる。
 瀑の出生の秘密や、瀑と漣の関係も含め、まだまだ謎ばかりの状態だが、この先さらに、人間の魂や心の存在に迫っていくものと考えていいのだろう。
 もちろん、サイキックアクションとして読んでも読み応え充分。迫力のあるシーンが、作者ならではの画力で存分に描かれている。今後の展開に大いに期待したい作品だ。

中野晴行(なかの・はるゆき)

1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2016年10月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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