復讐に燃える「悪霊」女戦士は「文字」を守る少年と出会う――『シュトヘル』伊藤悠|中野晴行の「まんがのソムリエ」第13回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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幻の西夏文字を守る少年と復讐に燃える女戦士を巡るバトルアクション
『シュトヘル』伊藤悠

 先日、よみうりカルチャー北千住で開催された講座「台湾の伝統芸能 布袋戯(ポテヒ)の魅力」を聴講してきた。講師は大正大学准教授の伏木香織先生。
 布袋戯(日本では布袋劇とも)は台湾の伝統的な人形芝居。伏木先生によれば、中国がルーツながら台湾で独自の発展を遂げた、台湾人の誇りともいえる伝統芸能なのだそう。
 私が存在を知ったのはごく最近で、教えている台湾からの留学生の発表がきっかけ。その後、民放のテレビで放映された日台合同映像企画『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』を観て夢中になった。
 古典のほかに、50年代に登場した現代の袋戯=金光布袋戯があり、古典の倍もある大きな人形と、スモークや爆竹を使った派手な演出で人気を博している。「東離劍遊紀」などは、テレビ布袋戯と呼ばれて、60年代にはじまった大河ドラマ『雲州大儒侠首』は最高視聴率97%を記録し、今も台湾で放送中。
 で、件の留学生が発表の中で「布袋戯はすばらしいですけど、日本のマンガはもっと迫力があります」と褒めてくれたのが、今回紹介する伊藤悠の『シュトヘル』だった。

 ***

 舞台は13世紀初頭、モンゴル帝国による統一前夜の中国大陸。中国北西部で11世紀から続く西夏は、東の大国・金と、北で強大化するモンゴルに脅威を感じていた。このまま国が滅ぼされたとしても、なんとかして自分たちが存在した証を後世に伝える方法はないか、と考えた番大学院(中央図書館)のグルシャン院長たちは、グルシャンの娘・玉花(イファ)を敵対するツォグ族の族長に嫁がせ、彼女とともに西夏の文字をツォグ内部に隠す計画を立てた。玉花は、珠を彫ってつくった西夏文字の字典=玉音同(ぎょくおんどう)を持ち、下僕に化けた学院の高官・ボルドゥとともにツォグに入った。
 西夏文字は西夏語を記録する為に独自に生み出された文字で、漢字と似たところも多いが、漢字のように象形文字から発達したものではなく、象形文字と指事文字を組み合わせた会意文字。原則として一文字一音で構成され、およそ6000文字からなる。
 モンゴルの若き指導者・テムジン(チンギス・ハン)は、この西夏文字を執拗に消し去ろうとして西夏への攻勢を強めていたのだ。

 この頃、ツォグの族長の長男・ハラバルはモンゴルに接近し、武功によってモンゴル内での地位を高めていた。ハラバルに率いられたツォグ軍の活躍で、西夏の守備隊は皆殺しにされ壊滅。ツォグ軍は首都・興慶に進軍する。危機を察知した番大学院は、密かにボルドゥに通じて、玉音同を南の大国である宋の都・成都に移そうと企てる。宋では、敗者の歴史や文化を勝者が書き継ぐ習慣があったからだ。
 ボルドゥはその使命を、族長の次男・ユルールに託す。ユルールはハラバルとは異母兄弟ということになっていたが、実はハラバルとの血縁はなく、モンゴルに奪われた母とテムジンの間に生まれた子で、ツォグにとって最後の切り札と考えられていた。武術には興味がなく、もっぱら義母の玉花から教えられた西夏の文字や音楽や詩に時を忘れていたユルールだったが、武力と恐怖で人を従えようとするモンゴルやハラバルに反発し、ボルドゥとともに成都に向かう決心をする。

 旅の途中、彼らは「シュトヘル=悪霊」の異名を持つ女戦士と出会う。西夏の守備隊の兵士だった彼女は仲間を皆殺しにしたモンゴルやツォグに激しい復讐心を持ち、ツォグをおびき寄せる囮と考えて、ユルールに同行することになる。もとより西夏文字には興味がなかった彼女だが、ユルールから文字を学ぶことでその心はしだいに変化していく。それは文字が持つ力を知ったからだった。
「わたしの仲間の名前は…この文字が、憶えていてくれるのか。…ユルール。――それが…文字なのか。」
 だがシュトヘルは、ハラバルとの戦いの中で捕らえられ、絞首刑にされてしまう。実は本編はここから始まるのだ。

 場面は現代に移る。男子高校生の須藤は毎晩、多くの家が燃え、多くの人が死んでいくリアルな悪夢に悩まされていた。しかし、謎の転校生・スズキと出会った須藤はようやく自分の夢の意味を悟る。
 夢は過去に起きた現実で、彼の前世はシュトヘル。スズキの前世はユルール。彼の使命は死んだシュトヘルに転生してユルールを守ること……。彼は夢の中に飛び込む。
 タイムスリップなどではなく、夢を媒介にして過去に転生するという設定が面白い。
 シュトヘルは須藤の心を持つスドーとして生き返るが、シュトヘルの心も体の奥深くに生き残っている。スドーは争いを好まないが、モンゴル軍を前にしたときシュトヘルは現れる。同じ身体を共有する二人は、作中でスドーは短髪、シュトヘルは長髪で描き分けられている。

 第3巻までは、シュトヘルの守備隊時代、ユルールや西夏文字との出会い、死、現代の須藤、スドーとしての再生、が不連続に描かれて、私には追いかけるのがちょっとしんどかったが、マンガを読みなれた若い読者には、これくらいのほうが面白いだろう。4巻以降は早く先が読みたくなる展開になっている。
 テムジンが西夏文字をなぜ憎むのかの謎解きもいいし、多彩な登場人物も魅力だが、なんといってもアクションシーンの画力が素晴らしい。戦士たちはもちろん、グルシャンやボルドゥも強い! テレビ布袋戯のアクションシーンは人形を実際に放り投げたり、斬ったりして撮影されているので迫力満点だが、このマンガもそれ以上だ。そして、ユルール、シュトヘル(スドー)の成長など少年マンガ的な要素もしっかり入って、「文字」という珍しいテーマを扱いながらも、王道をゆくアクションファンタジー長編になっている。

中野晴行(なかの・はるゆき)

1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2016年10月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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