【文庫双六】この作品からスタート!
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
あの本読んだら次はこれ!文庫双六 第1投
ボブ・ディランの独特な声について女の子がいう。
「まるで小さな子が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声」だと。
うまい表現に感服する。詩的なボブ・ディランを詩的に表現している。村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に出てくる。
七〇年代の後半に登場した村上春樹の小説は「若者の反乱」といわれた六〇年代に青春を送った世代(シックスティーズ)には「われらの文学」として実に新鮮だった。
前の世代が大江健三郎の登場に衝撃を受けたのと似ている。それまでのくすんだ純文学とまるで違う。貧乏や病気や自己破滅を描く私小説とまったく違う。いつも小説のなかに軽やかに音楽が流れている。
青春の挫折や死を語っていても、明るく、澄んでいる。遠くを見ている。
考えてみると、「若者の反乱」の時代といわれていたのに、あの時代、日本文学にまだ若手作家はいなかった。学生時代に読んでいた作家はみんな年上の大御所だった。
おそらく当時、若い才能は、音楽や漫画、あるいは政治運動に向っていた。
そこに村上春樹が登場した。いわば文学界のボブ・ディランだった。
青春小説からスタートしたが、一九八五年に書き下ろしで出版された『世界の終り―』で、スケールの大きい物語作家となった。
新潮社からこの本が出た時に、すぐに書評をしたが、現代と想像世界がパラレルに語られてゆく迷宮のような物語の力に圧倒された。
コンピューター、ボルヘス、泉鏡花、ジャズ、ファンタジー、SF、あるいは西部劇やハードボイルド映画……さまざまな、六〇年代世代ならではの体験が混然としている。
四畳半的な狭苦しい純文学の世界を一気に同時代のカルチャーへと広げた。
そして本書の核になっていたのがディラン。最後に、世界の終りへと旅立つ「私」が聴くのはディランの「激しい雨」だった。