男のファッションは「文化」の鏡 『王様の仕立て屋』大河原遁|中野晴行の「まんがのソムリエ」第28回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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天才仕立て職人が人生を変える
『王様の仕立て屋~サルト・フィニート~』大河原遁

 子どもの頃、必ずみていたテレビ番組に日曜日の朝の『ミユキ野球教室』があった。戦前の社会人野球などで活躍した野球評論家・中澤不二雄さんが司会者になってバッティングや走塁、スローイングのコツを教えてくれるという内容で、プロ野球の選手もゲストとして登場した。タイトルに「ミユキ」がついているのは紳士服地メーカーの御幸毛織が単独スポンサーだったから。「紳士だったら知っている 服地はミユキと知っている」というCMソングは今でも歌える。
 テレビ番組のスポンサーに服地メーカーというのが時代だなあ、と思う。私が子どもだった昭和30年代から40年代前半まで、サラリーマンのスーツ(背広といった)は、服地を選んでオーダーで作るのが一般的だったのだ。着道楽だった父親はワンシーズンに1着は必ず近所のテーラーでスーツを新調して、採寸だの仮縫いだのにはなぜか同行させられた。男なんだから知っておくべきこと、というつもりだったのかもしれない。私の就活スーツもこのテーラーで仕立ててもらった。
 今回紹介するのは仕立て職人が主人公のマンガ、大河原遁(とん)の『王様の仕立て屋』である。

 ***

 主人公のオリベ・ユウ(織部悠)はナポリの泥棒市に店を持つ仕立て屋だ。生まれは東京の下町。幼い時から近所の足袋屋で縫製の技術を身に付け、高校卒業後、仕立て職人になるために単身イタリアに。ナポリで伝説の仕立て屋と言われたマリオ・サントリヨの弟子になる。弟子入り直後に親方が命じたのは、骸骨磨き。半年かけてたくさんの骸骨を磨くうちに生前の顔や首から下の体格がおよそわかるようになる。親方から手伝いを許されるのはそこからなのだ。この特殊な修業に耐えたオリベはたったひとり残った弟子となった。
 この骸骨磨きのエピソードは注文服と既製服の違いを実にうまく表現していていいなあと思う。注文服の良さは体にフィットした服をつくるだけではなく、かっこよく見える服をつくることにある。右肩が下がるクセがある人ならそのクセがわからないように、猫背なら背筋が伸びて見えるようにする。そのために良い仕立て屋は、一目でお客の骨格や癖を判断する。オリベは今でもサンタ・マリア・デッレ・アニメ教会(通称・骸骨寺)で、骸骨磨きのバイトを続けている。
 オリベの仕立て屋としての腕は親方譲りだが、親方にはまだまだ追いつけていないという自覚と職人としての矜持から、親方の名声だけを求めるような客の注文は受けない。仕事は早く、コーディネイトのセンスも素晴らしいが、職人気質で頑固。急ぎの仕事には特急料金と称して法外な値段を付けるが、気に入いった仕事は格安。病気で亡くなった親方のための借金(日本円で1億円)をマフィアに返済中である。

 彼の家の居候になるのが、靴職人見習い兼靴磨き少年のマルコと、フランスの有名服飾ブランドの御曹司ながら厳しい修業を嫌ってナポリに逃げてきたセルジュ・リヴァル。マルコとセルジュは、オリベを支えるほかに、物語中のコメディリリーフ役にもなっている。ふたりの会話はとても楽しい。
 連載は今のところ3期に分かれていて「サルト・フィニート」「サルトリア・ナポレターナ」「フィオリ・ディ・ジラソーレ」の副題がつく。それぞれ、究極の仕立て職人、ナポリの仕立て職人の技、ひまわりの花、といった意味。ひまわりを意味する「ジラソーレ」は、作中で若い女性たちが立ち上げたカジュアルブランドの社名だ。第1巻ではオリベたち仕立て職人のライバルとして登場し、その後も社長のユーリアはじめ関係者たちが重要な役割を果たすことになる。
 ストーリーは、注文主が抱えるさまざまな問題をオリベがそのセンスと技術によってまるで魔法のように解決するというオムニバス形式。1話完結式のものもあれば複数巻にまたがる長編もある。巻を追うごとに活躍の場も、ナポリからロンドン、パリと広がり、ブランド企業のライバル対決を描いたり、中国企業がブランドの買収を図るといったタイムリーな話題も出てくる。

 とはいえ、このマンガの一番の読みどころは注文服のバックグラウンドとなる「文化」がしっかり描かれているところだ。クラシック音楽、社交ダンス、演劇、グルメ、ワイン、もちろんサッカーなどのスポーツ。さまざまな「文化」がストーリーの大切な部分に使われ、歌舞伎が登場することもある。
 日本のサラリーマンにとってのスーツは単なる仕事着だ。だから、既製服を適当に買って着ていても問題はない。しかし、ヨーロッパの紳士にとってのスーツは着る人の人格であり、歴史であり、文化なのだ。
 第3巻「箱入り男爵の冒険」のオリベのセリフから。
「エレガンテってのはありのままの自分を演出する事だ 格好ばかり派手に決めても中身が伴わなきゃ意味がない 多少の見栄は大切だが 分を越えるとかえって野暮なのさ」
 これを知るだけでもこのマンガを読む価値があるというものだ。

中野晴行(なかの・はるゆき)

1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2017年2月8日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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