『忘れられた日本人』の世界

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『忘れられた日本人』の世界

[レビュアー] 山村杳樹(ライター)

 本書の舞台は、鹿児島薩摩半島の土喰(つちくれ)。二十軒の家にわずか二十七人の住民が暮らす小さな集落である。六十五歳以下は著者をふくめ三人だけ。平均年齢七十七歳、高齢化率八十九%という典型的な「限界集落」だが、著者はこの名称に異を唱える。なぜなら「集落の一人ひとりの生き方や死に方、集落全体の在り方、お互いを応援し合う心などから、非常にたくさんのことを学べる」と考えるからだ。
 著者は米国籍の民俗学者で、日本滞在は二十五年になる。東京の大手建設会社勤務を経て、鹿児島県下甑(しもこしき)島で三年間、定置網漁の仕事に就いた後、十五年前にこの集落に移り住んだ。そして、この地で結婚し、子供を育て、小組合長(自治会長)を務めるまでになる。本書は、南日本新聞に連載された「小組合長日記」と「風の通る道」を中心に編まれていて、土喰集落に暮らす人々の生き方や日々の営みが淡々と描かれている。
 全員が納得できる結論が出るまで、ゆっくりと話し合う寄り合い。手作りの野菜や菓子、漬け物などを持ち寄る結いの集まり、困った人に差し伸べられる無言の援助、生老病死を自然と同じように受け入れる態度……。まさに、民俗学者・宮本常一の名著『忘れられた日本人』で描かれた世界が広がる。(因みに著者は、同書を英訳している)。
 著者は、住民一人ひとりの家を訪ね、隣人として彼らの言葉に耳をかたむけ、飲食を共にし、死者を見送り、それを書きとめる。その過程で、人間が幸せに暮らすとは、このような生活を送ることではないだろうかと思い至る。
 本書には住民たちのポートレイトが数多く収められているが、彼らが浮かべる温かい笑顔が、なによりも「幸せな暮らし」を雄弁に物語っている。
 本書の魅力は、民俗学者の冷静な観察眼が捉えた、小さな集落の日常の細部と、そこに住む人々が語る個人史の陰翳といえる。そしてなによりも、そこで実際に暮らしながら、共同体を共に担おうとする著者の共感に満ちた眼差しが快い。

新潮社 新潮45
2013年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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