ウナギから見る日本戦後史

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ウナギから見る日本戦後史

[レビュアー] 稲垣真澄(評論家)

 ニホンウナギが国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストに「絶滅危惧1B類」として記載された(六月十二日)。マスコミなどの解説によると、同リストは絶滅から軽度懸念、情報不足まで八段階に分かれ、絶滅危惧は上から三番目。それがさらに三段階に細分され、絶滅危惧1B類は中間のカテゴリーらしい。

 今すぐ絶滅が迫っている風でもなさそうで、やや安心もする。IUCNのレッドリストに強制力はないが、野生動物の国際取引を規制するワシントン条約締約国会議で、重要資料になるそうだから、将来うな重、うな丼が食べられなくなる可能性も小さくないわけだ。なにしろ世界のウナギの実に七割が、ウナギ好きの多い日本で消費される。ここは日本人として、ウナギの将来への真摯なる関心と応分の責任とを感じざるをえない。

 本書は『猿まわし 被差別の民俗学』『サンカの起源』などで知られる在野の民俗研究家の手によるもので、まさに「ウナギと日本人」とのかかわりの全体を問う。なんといってもかかわりの濃さを思わせるのは、各地に残る独特なウナギ民俗である。岐阜県の粥川という山村では、住民は決してウナギを口にしない。全国的に見ても、粥川の氏神と同名の星宮神社、三島神社、あるいは宮城県に多い運南神社(ウンナンはウナギの転か)などは、やはりウナギ食を氏子に禁じてきたところが多いそうだ。

 ウナギがタブーとなった理由は明らかで、皮膚呼吸が可能であるがゆえに、多少の湿気さえあれば峠さえ越えることのできた驚異の生命力への畏怖であろう。その畏怖は「ウナギは夏バテに効く」という卑近な思い込みとして現在にまで続き、日本人のウナギ好きを心理面で大きく支えてきたのは間違いない。

 一方、日本人のウナギ好きを物質的に可能にしたのが、産業としての近代ウナギ養殖だ。本書でもっとも力を込めて記述される。それまでウナギといえば天然ウナギのみで、ごく稀に食べられるだけだったが、現在のようにうな重、うな丼が当たり前の食べ物になったのは、昭和三十年代以降のことにすぎない。明治・大正期に遠州・三河方面で始まったウナギ養殖が、高度成長期以降、四国や南九州にまで広く展開・定着したからだ。本書はウナギ養殖の産業史でもあり、その産業に不可欠な「白いダイヤ」とも称せられたシラス(稚魚)をめぐる裏面史でもある。

 近年、人工授精による受精卵からのウナギふ化も一応成功しているが、実用化はまだまだ覚束ない。いきおいウナギ養殖は、グアム沖で生まれ海流に乗って日本にまで漂いくるシラスに頼らざるを得ない。タダ同然の相場から一キロ三百万円(五千匹ほど。丼一杯分)への乱高下が生む悲喜劇は、小説よりも面白い。

新潮社 新潮45
2014年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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