アメリカ本国で軽んじられた歴史

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アメリカ本国で軽んじられた歴史

[レビュアー] 平山周吉(雑文家)

 占領下日本で誰よりも偉かったマッカーサーの、その栄光の戦いが日本人には少しも教えられていなかった――そんな意外な、歴史の皮肉を炙り出しにした本である。

 いまでこそ「東京裁判史観」なるものが批判の対象になることが多い。その東京裁判よりも前、もっと決定的に日本人に刷り込まれた「歴史」があった。敗戦の年の十二月八日から全国の新聞で強制的に一斉に始まった「太平洋戦争史」と、そのラジオ版である「真相はこうだ」「真相箱」である。日本人に罪の意識を植えつけるこのプログラムで、マッカーサーは脇役に押しやられ、ニミッツ率いる海軍と海兵隊が華々しく勝利した戦争が語られた、というのだ。

「太平洋戦争史」に注目した江藤淳は『閉された言語空間』で、「真相はこうだ」がベートーヴェンの「運命」のジャジャジャジャーンから始まり、どぎつい阿鼻叫喚がラジオから流れてきた記憶を記していた。演出効果満点の劇画調歴史だったのだろう。

 本書の著者・田中宏巳が下す「太平洋戦争史」への評価は低い。きちんとした資料も使わず、一貫性を欠いた記述は「大学生の卒業論文の方がずっとまし」な程度というから、コピペだらけの博士論文といったところか。そんな代用品まがいでも、「対日教育にはこれで十分と判断され」、「こんな材料で作成された記述やシナリオのために、戦後の日本人が精神的に打ちのめされ、洗脳されたとすれば、口惜しいかぎりである」と。プロパガンダとしてはともかく、三流四流の歴史書という評価なのだ。

 そんな歴史を、なぜワシントンは公認したか。著者はGHQの民間情報教育局(CI&E)が来日前に米国内で企画したからと推測している。マッカーサーは編集に関与できていないのだ。

「太平洋戦争史」のメインは、アメリカのメディアで派手に取り上げられた、太平洋上での日米海軍の決戦や、大きな犠牲をともなった海兵隊の血みどろの戦場であった。ヤンキー好みのハリウッド的物量戦が好まれ、マッカーサーがニューギニアで行なった長くてつらくて地味な島嶼戦は無視される。ヨーロッパ戦線が陸軍中心に報じられたのとバランスをとるためもあり、太平洋は海軍のお手柄にする。

 その点は、著者はマッカーサーに同情的である。「ミッドウェー海戦による日本敗因論が定着」し、米海軍の好敵手として日本海軍が善玉となった。南西太平洋で日本陸軍を打ち破り、「アイ・シャル・リターン」と予告したフィリピンを取り戻し、南方から日本への補給路を断った作戦は影が薄い。「太平洋戦争史」のそうした不当性に気づいた段階で、マッカーサーはCI&Eのダイク局長を帰国させ、「真相箱」も突如打切りとなったと推測している。

 マッカーサーは腹心ウィロビーとともに自分たち独自の戦史を企画する。その編纂官に任命されたのがメリーランド大学の歴史学教授ゴードン・W・プランゲだった。後に『トラトラトラ』を著わし、日本国内での検閲資料をまとめて米国に持ち帰り、そのプランゲ文庫が占領期検閲研究のメッカとなる、あのプランゲである。

 この編纂事業は秘密裡に行なわれた。米陸軍内で戦史編纂が許されるのは陸軍省参謀部であり、出先機関にすぎないマッカーサー司令部にできるのは戦史報告書どまりであった。米国の国家事業ではないのだから、秘密主義は当然だった。戦史報告書づくりと並行して、戦史「マッカーサーレポート」は編纂される。その強力な助っ人となったのが、復員省の日本人スタッフである。

 その中心となったのが元陸軍大佐の服部卓四郎だった。戦時中に参謀本部作戦課長という最重要ポストにあった服部は、敗戦責任者の一人であり、歴史法廷の被告席がふさわしい人間である。「最も避けなければならない人選だった」と著者は見ている。「日本では、歴史に求められるのは客観性であるという近代歴史学が唱えた常識が定着していない」と。

 占領終了後に服部卓四郎名義で出版された『大東亜戦争全史』は重要資料を駆使した大著で、現在でもまだ歴史書としての生命を失っていない。その点を考慮すると、私には著者の服部評価は厳しすぎると思える。敗戦の秋に、幣原喜重郎内閣が戦史編纂のために組織した「戦争調査会」は、連合国側の意向で翌年廃止されていた。いわば「歴史」が封じられた中で、マッカーサーの禄を食みながら、ぬけぬけと、政戦両略を扱った戦争史を準備していたのだから。

 肝心の戦史「マッカーサーレポート」は昭和二十五年には脱稿されたが、五部が印刷されただけだった。刊行されるのはその十六年後で、「既存の太平洋戦争史に対してほとんど影響を与えなかった」という。

 それでは歴史は、早く書いた者勝ち、早く流布させた者勝ちなのか。本書を読む限り、その側面は否定できないにせよ、著者はむしろ、全体像の歴史をこれから書き直さないといけないと主張している。アメリカが日本から接収して持ち帰った資料類は四十五万点にものぼった。そのうち返還されたのは二万点で、九十五パーセントはいまだ全米各地に残され、眠っている。「明日には何が飛び出すかわからないことを銘すべきである」と。

 朝日新聞でさえ慰安婦報道三十二年目にして「お詫びなき訂正」をするご時世である。歴史の書き換えは、これからの大きな宿題なのだ。

新潮社 新潮45
2014年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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