便利さを求めて人間が失ったもの

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便利さを求めて人間が失ったもの

[レビュアー] 鈴木裕也(ライター)

 テレビCMでは今、盛んに自動ブレーキ車が宣伝されている。ぺーパードライバー歴30年の私だから思うのかもしれないが、自動ブレーキ車や自動運転車はまったく信用できない。その理由が、本書を読んでよくわかった。

 自動車だけでなく、航空機の世界でも自動運転は発達している。今では離陸と着陸のほんの数分間だけパイロットが操作すれば無事に目的地にたどり着けるほど自動操縦が発達している航空機業界でも、自動操縦の問題点が指摘されている。自動化によってパイロットの運転技術が下がっているというのだ。

 オートメーション化が進み、便利な世の中になったのは事実だ。だが、その代償に人は多くの能力を失いつつある。例えば、昔はすらすらと覚えていた電話番号が今では覚えられない。簡単な漢字が思い出せない。もっといえば、太古の人間は誰もが火を熾(おこ)すことができただろうが、今マッチやライターのない状態から火を熾せる人間がどれだけいるだろうか――。機械や道具が大変な作業を取って代わってくれたおかげで、人間そのものの能力は低下している。

 電子カルテが登場して医師の診察能力が下がり医療費も増大しているという研究もある。工場でオートメーション化が進み雇用形態は変わった。これまで人間が行っていた苦労を機械やコンピューターが肩代わりしてくれるようになった結果、本来持っていた人間の能力が失われているのではないかと疑問を投げかけているのが本書なのだ。

 著者はさらに今後の憂慮すべき事態を警告する。道徳的な判断さえも機械やコンピューターが教えてくれる世界が近づきつつある。そのとき人間はどんな存在となり、世界はどのように変わるのか。

 著者は結論する。「未来の社会の幸福を確かなものにするには(中略)機械よりも人間を優先すること」だ。元来アナログ人間の私は、著者の結論を支持することに決めた。

新潮社 新潮45
2015年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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