炭水化物は人類を滅ぼさない

レビュー

0
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

私たちは今でも進化しているのか?

『私たちは今でも進化しているのか?』

著者
マーリーン・ズック [著]/渡会圭子 [訳]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/外国文学、その他
ISBN
9784163901930
発売日
2015/01/26
価格
1,944円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

炭水化物は人類を滅ぼさない

[レビュアー] 稲垣真澄(評論家)

 炭水化物をいっさい摂らない、という健康法が結構はやっている。血糖値は即座に下がり、ダイエット効果もテキメンという触れ込みだが、生兵法を危険視する専門家の意見も聞こえないではない。淵源はアメリカにおける「パレオファンタジー」ブームという。

 パレオは「パレオリシック」のように使われ、パレオファンタジーは「旧石器時代への幻想」。人類は四、五百万年前に出現して以来、九十九%の期間を狩猟と採集とで過ごしてきた。いつも空腹加減、定住して炭水化物の大量摂取を始めたのは、農耕が開始されたたかだか一万年前のことにすぎない。当然身体は狩猟・採集に慣れ、いまだ農耕スタイルには適合していない。肥満、糖尿病、高血圧、神経症……現代人の心身のイライラはその不適合のゆえにほかならない。ここは幸福なる旧石器生活に戻るべし!

 炭水化物を避けるのは農耕以前の食生活を象徴し、ジョギング(長距離走)は獲物の追跡体験を再現する。パレオファンタジーの項目としていかにも分かりやすい。しかし昨今のアメリカのブームはそんなものじゃない。定期的な献血まで勧められる。獲物からの逆襲でしばしば蒙った失血を思い出せというわけだが、いささか行き過ぎというべきか。

 本書は女性進化生物学者によるパレオファンタジーへの本格的な反論の書だ。反論の骨子は以下に尽きる。人類の生を農耕以前と以後に分け、一方を理想、他方を逸脱と捉えるには、長短はともかく比較可能な二つの安定した生が想定されなければならない。しかしそんなものはどこにもない。農耕以前、人類は絶え間なく進化を重ねて類人猿から分かれてきたのだし、農耕以後のわずか一万年の間にも確実に進化を続けている。一体何と何を比較し優劣を決めるというのか。

 進化といえばふつうは長期間の出来事で、進化の最終点に到達した現生人類(ホモ・サピエンス)は、しばらくはこれ以上進化しないという勝手な思い込みがある。しかし一万年という短い間にも進化は確実に起きていることを、本書は多くの直接例、間接例を挙げて証明する。たとえばヨーロッパやアフリカの一部の人に認められるラクターゼ(乳糖消化酵素)活性持続遺伝子の存在。本来、哺乳類の幼児・幼獣はミルクを飲まなくなる離乳とともにラクターゼを失うが、彼らは大人になっても失わない。それは七千年前の牧畜開始で大人のミルク飲用が増えたことと無関係ではない。

 人類が高地に住めるようになったのも、耳あかに乾燥・湿潤の二つのタイプがあるのも最近の進化例という。人間ではないが、著者自身が発見した例に、たった五年で鳴かなくなったハワイのコオロギ種がある。進化は今も、目の前で起きているのだ。

新潮社 新潮45
2015年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • このエントリーをはてなブックマークに追加