人と共に生きた馬の一生

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馬と人の江戸時代

『馬と人の江戸時代』

著者
兼平 賢治 [著]
出版社
吉川弘文館
ジャンル
歴史・地理/歴史総記
ISBN
9784642057981
発売日
2015/03/20
価格
1,836円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

人と共に生きた馬の一生

[レビュアー] 稲垣真澄(評論家)

 百頭近くの着飾った馬が北上川沿いを行列する岩手県の「チャグチャグ馬コ」、騎馬武者たちが神旗を争奪する福島県の「相馬野馬追」……。東北地方には今も馬が主役の伝統行事が少なくない。それは東北が古代以来、馬産地として名を馳せ、人馬が互いに寄り添う生活をずっと続けてきたなごりである。

 たとえば岩手県北、青森県南東部には一戸から九戸まで戸のつく地名が並ぶが、それらは「牧」の管理にかかわる地名で、中世期に「戸立(戸で産出)の馬」といえばすなわち駿馬を意味した。江戸期に造られた南部曲屋は、人馬が文字どおり一つ屋根の下に暮らす建物だ。

 さて、現在の盛岡市を城下町とした盛岡藩(南部藩)の家老席日記に、寛永二一年(一六四四)から幕末に近い天保一一年(一八四〇)まで書き継がれた「雑書」がある。知事部局の業務日誌のようなもので、藩内の日々の出来事とそれへの対処をどうした、などのことが記されている。その「雑書」を読み込み、江戸時代、盛岡藩における人と馬とのかかわりを浮かび上がらせたのが本書である。むろんそれは社会や自然が変化する中で絶えず変化するかかわりで、著者の関心はむしろそちらに傾いているようだ。

 馬が牛と異なる点の第一は、民生用以外に軍用馬としての役割が強くあることだろう。そもそも武芸を「弓馬の芸」、軍事を司ることを「兵馬の権」というくらいで、江戸幕府もそれまでの権力者と同様、象徴的意味をふくめて東北の優良馬の確保に努めた。制度的には家康、秀忠時代の「御馬御用役人」制から、盛岡藩、仙台藩などを巡回して良馬を探す元和期以降(一六一五~)の「公儀御馬買衆」制へ、さらには元禄四年(一六九一)の同制度中止後は目録を通じて「御買馬」を決定する新制度へと、さまざまに変遷を重ねるが、優良馬の中身も時代とともに変化する。

 いまだ戦国の気風が残る間は、見た目よりも実用が「よき馬」に求められたのは当然で、平和になるにつれそれが逆転する。見た目のために筋を延べたりする「拵馬(こしらえうま)」が当たり前になる。それを綱吉は「不仁」として断固禁止。生類憐みの令の評判は今一つながら、この禁止は当然のことと思われる。やがて武士の綱紀粛正と対外緊張の高まりとともに馬体の大型化や、馬皮の武器利用が積極的に図られたりもする。

 馬の民生利用といえばまずは農耕馬だが、その際、土を耕起するパワーもさることながら、馬糞の肥料利用が重要視されたらしいことにもびっくりする。「雑書」には他にも、人馬が被害に遭うからといって狼狩りを許すと、やがて(天敵がいなくなり)鹿荒、猪荒(鹿や猪による被害)が増えるという生態系の食物連鎖的知識までが記されているという。

新潮社 新潮45
2015年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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