すさまじくヘンで、すさまじくまっとうな女

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他者という病

『他者という病』

著者
中村 うさぎ [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784104567065
発売日
2015/08/21
価格
1,404円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

すさまじくヘンで、すさまじくまっとうな女

[レビュアー] 中島義道(哲学者)

 中村うさぎさんとは面識がないが、七年ほど前に拙著『どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?』(角川文庫)の解説を書いてもらったことがある。私は彼女のよき読者ではなく、買い物依存症や美容整形やホストクラブ通いやデリヘル(ちなみに、この言葉今回初めて知った)に次々に嵌っていく女性作家は、私のような地味な男の世界とはかけ離れているので、「対岸の火事」のように「生きにくそうだなあ」と眺めている程度であった。生きにくそうだから、そしてそれが嘘偽りのないものだと直観したから、解説を依頼したのだが、予想通り、とてもまじめな解説であって、最後は(「人生に意味がない」ことが再確認できて)「ありがとうございました。中島先生、私はあなたに救われました」という言葉で結ばれていた。

 本書の冒頭で書かれている「私は突然の病に倒れて入院し、約三ヶ月半の入院の間に一度の心肺停止と二度の呼吸停止状態を経験した」という「すごいこと」も、今回解説を書くまで全然知らなかった。そして、(なぜか「週刊文春」の連載を切られたことは知っていたが)MXTV降板騒動も、ドアノブで首を吊って自殺を図り失敗したことも、ゲキ太りしたことも、車椅子生活が続いていたことも知らなかった。私はうさぎさんについて何にも知らなかったのだから、「大変なことだなあ」との感想以外、それが意外なことにも自然なことにも思えない。

 本書は、その「突然の病」の直後に薬の副作用によって「自分が自分でなくなっていく」体験のさなかに書いたものと、後に冷静になった時に書いた「うさぎ回想録」から成っている。だが、読み進んでいくと、むしろ「うさぎ回想録」はいらないのではないかと思われるほど、前者のルポルタージュは「まとも」であり、生き生きしている。言いかえると、「うさぎ回想録」は本人が自覚しているほど「まとも」ではない。どちらも、疑いなく「中村うさぎ」というすさまじくヘンであってすさまじくまっとうな女を露出している。

 彼女は、「真理」や「意識」や「私」や「他者」や「死」や「無」などについても思考を巡らすが、それらはひどく非哲学的であり、ひどく非論理的であり、ひどく非理性的である。つくづく思うに、これが男の書いた本だったら、私はその「非哲学的で非論理的でしかも観念的な言語の洪水」を徹底的に叩きのめしてオワリにしたことであろう。だが、うさぎさんは、女の中の女であって、「非哲学的」や「非論理的」など「乗り越えて」しまうほど逞しい。その度胸は、天然自然なものであるから、脱帽するしかない。

 ニーチェは『ツァラトストラ』の中で、(男たちに向かって)「精神」ではなく「身体」こそ真理であり「自己」であることを強調するが、女たちはそんなことは太古の昔から知っていたのだ。女は身体しか信じない。これは、自分の身体反応しか信じないということであり、これこそ男にとっては、まことに過酷で難解な砦なのである。

 本書のタイトルは『他者という病』であるが、これはちょっと考えさせるものである。「私にとって『他者』とは己を映す鏡であるが、ただしそれは己の姿を極端に矮小化したり誇大化したりする歪んだ鏡なのである」というあたりが「病」という言葉のヒントになる。「私」は「他者」によって揺れ動き不安定になるのだが、その「他者がいないと、私は自分の輪郭を維持することができない」というわけで、うさぎさんは他者依存症とナルシシズムとが合流するところにいる。「私はずっとナルシシズムによって盲目となることを恐れ(中略)、拙いながらも己の弱さや醜さと対峙し、受け容れようと心がけてきた」のである。しかし、それは大概成功しなかった。他者依存症の人は他者嫌悪症の人であり、ナルシシズムの強い人は自己嫌悪感の強い人である。うさぎさんは、まさにこの典型であって、「他者という病」とは、すなわちそういう他者との関係に繋がれている「自己という病」なのであるから、(彼女には悪いが)、こうした事態からの突破口はない。うさぎさんは、もうこう生きるしかないのであり、その固有の「かたち」を文章にするしかない。それが伝わってくるから、本書には嫌みがないのだ。

 数年前にうさぎさんからクリスマスカードをいただいた。開けたとたんに、恐ろしく汚い音による「聖夜」が流れてくる。そして、「うるさいですね」という添え書きがあった。私が音に「うるさい」ことを知って選んだのであろうが、詮索すれば幾重にも詮索でき、単に「ちゃめっ気」と言えばそれで済む。中村うさぎはそういう奥行きのある作家である。といっても、やはり「うるさい」からそのクリスマスカードは捨ててしまったけれど……。

新潮社 波
2015年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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