徹子だから語れる「見事に生きた人」の話

レビュー

0
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

トットひとり

『トットひとり』

著者
黒柳 徹子 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103550075
発売日
2015/04/28
価格
1,620円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

徹子だから語れる「見事に生きた人」の話

[レビュアー] ペリー荻野(コラムニスト)

 今後、百年たっても二百年たっても、「日本のテレビ創成期」を語るとき、「黒柳徹子」の名前は確実に出るはずだ。なんたって「テレビ女優第一号」。でもって、テレビ司会者の草分けで、声優の草分けで、ワイドショー司会の草分けで、長寿トーク番組の草分け……って、本当にこの人はテレビという新メディアの草分けになるために生まれてきたような印象がある。

 しかし、そのテレビも歴史を重ねて60余年。「絵本が上手に読めるお母さんになりたい」とNHKに飛び込み、出会いに恵まれたトットちゃん(黒柳)も、多くの別れを経験することになる。森繁久彌、沢村貞子、渥美清、杉浦直樹、井上ひさし、つかこうへい……そうした人たちとの思い出をつづったのがこの本なのだ。

 内容が親しい人々との出会いと永遠の別れで、タイトルが「トットひとり」と聞いて、さぞかし湿っぽい話になるんだろうと思ったら、そこはさすがにトットちゃんである。めそめそするどころか、「あの人はこんなところが可笑しかった」という笑い話が満載。特に冒頭「ザ・ベストテン」の逸話で、飛行機移動中の松田聖子を絶妙のタイミングでタラップの前で歌わせたり、松坂慶子を追ってくるファンから学生寮の押入れに隠したりのハプニングは今、読んでいてもハラハラする。掛け値なしのランキングでギリギリに出演交渉しての生放送。それがどれほど大変だったか。番組を支えた故山田修爾プロデューサーの人柄を初めて知った。生放送といえば、黎明期、ドラマもすべて生だったNHK時代もすさまじい。出演者は手近な新聞や扇子などにセリフを書き込むのは序の口、鍋の中の白菜にまで書き込んでいたのである。実力者森繁久彌も、刑事役で出たドラマで棺桶に入った死体役の左卜全が勘違いして先に帰ってしまい、本番中にお棺を開けたら死体がないという事態には絶句したという。そんな愛すべき大先輩森繁に最後まで「ねえ、一回どう?」と言われ続けた徹子。これはもう女の勲章である。そうした話を天真爛漫に語れる技と正確な記憶力は、やっぱり天才的だ。(私は以前、「徹子の部屋」の楽屋でご本人に取材をした際、収録の都合でインタビュー時間が15分のみとなってしまったことがある。しかし、その15分で2ページ分の原稿にあふれるほどのエピソードが語られたのだ。驚愕!)

 読みどころは、めったに語られることのない渥美清、杉浦直樹はじめ徹子と親しい人たちの意外な素顔である。

 たとえば、向田邦子。各局に何本もレギュラーをもって超多忙の徹子は、移動の合間に立ち寄るのにちょうどいい場所にあった向田の部屋に入り浸り、勝手に休憩したり、食事を作ってもらっていたという。

〈原稿を、〆切に遅れて急いで書くので、印刷された時、よくミスプリ(プリント・ミス)があることも有名だった。いつか池内淳子さんが、真剣な顔でディレクターに「私、どんな顔したらいいんですか?」と訊いている。向田さんは(どうして訊くんだろう。私は、池内さん狼狽する、と書いただけなのに)と思って、印刷台本をよく見たら、(池内さん猿股する)になっていた。

「ロウバイとサルマタって急いで書くと似ちゃうのかしらね」と笑っていた。〉(霞町マンションBの二)より

 こんな具合である。美人だったとか、作品が素晴らしかったとか、どんどん伝説の人にされつつある向田邦子をこれほど人間味たっぷりに語った文章を私は知らない。おそらく天国で向田邦子本人がにんまりしていることだろう。いや、この本で語られるすべての人が、にんまりしているに違いない。

 最後にこの本で「再発見」できること。それは黒柳徹子の女優としての顔である。私もここ数年、彼女の舞台公演を観てきたが、そこにはテレビの徹子は存在しない。膨大なセリフを相手にぶつけながら、階段を駆け下り、椅子にもたれ、困ったり怒ったり笑ったりする喜劇女優がいるのである。本書の「ある喜劇女優の死」の章では、末期ガンの激痛と四升分もの水を腹に抱えながら、旅立つ直前まで舞台に立ち続けた女優賀原夏子のことが語られる。賀原の最終公演、笑うべきところで泣いている人がいて、誰かと思ったら賀原を看護する病院の看護師さんだったという。

 見事に生きた人は、別れっぷりもまた見事である。みんなどこか演劇的だと感じるのは、私だけではないと思う。「トットひとり」は黒柳徹子の一人芝居ではなく、素敵な共演者との笑いあり涙ありの輝かしい群像劇なのだ。

新潮社 波
2015年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • このエントリーをはてなブックマークに追加