「キャラクター小説」の奇妙な技法

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知らない映画のサントラを聴く

『知らない映画のサントラを聴く』

著者
竹宮 ゆゆこ [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784101800028
発売日
2014/08/28
価格
680円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

「キャラクター小説」の奇妙な技法

[レビュアー] 坂上秋成(作家、文芸評論家)

 二〇一四年九月、「キャラクター」と「物語」の融合を謳って、新潮文庫nexの刊行が開始された。しかし、それが魅力的な作品を多数産み出していることは確かにせよ、具体的な理念はまだ読者に伝わっていないように思われる。ライトノベルでも純文学でもないが、「キャラクター」を軸に据えた小説。これだけではイメージを作ることは難しいかもしれない。けれど、すでに刊行された作品の中に、「キャラクター」の吸引力をまざまざと見せつけてくるものが存在する。それが竹宮ゆゆこによる『知らない映画のサントラを聴く』である。

 彼女はこれまでもライトノベルの領域で、『とらドラ!』や『ゴールデンタイム』といった作品において文体へのこだわりを見せてきたが、その姿勢は本書において一層強調される。頻出する固有名詞、体言止めの多さ、若者言葉の導入……こうした異物の混入によって、竹宮の文章はオリジナリティを獲得していく。「数日前からの風邪をこじらせ、下痢と嘔吐が上下にマーライオン」といった表現は、一読してすんなり入ってくるものではないだろう。けれど、このような表現が独特のリズムを刻むからこそ、読者は登場人物に対して通常の読書とは異なる種類の関心を持つようになるのだ。

 本書は贖罪の物語である。主人公の錦戸枇杷は、大学卒業後、無職のまま自宅に引き籠もっている二十三歳の女性だ。彼女はジャージのままビールを飲むだけの生活を送っていたが、ある日セーラー服を着た強盗に襲われ、親友である清瀬朝野の写真を奪われたことで、それを取り戻すという目的を持つようになる。しかしその直後、自立を促そうとする家族たちの計略によって、枇杷は実家を追い出されてしまう。彼女は途方に暮れるが、不幸中の幸いと言うべきか、その日のうちに件の強盗を捕まえることに成功する。ところが、犯人の正体は、朝野の元恋人・森田昴だった。昴は枇杷に対して謝罪をした後、帰るところがないなら自分の家に来ないかと提案し、結果的に彼らは同居を始めることになる。

 枇杷と昴を結んでいるものは、朝野に対する強烈なまでの罪悪感だ。朝野は一年前に伊豆の浜辺で亡くなっており、それが自殺であることを匂わせる描写も数多く挿入されている。枇杷は最後に朝野と会った際、「破壊神」に狙われているという相談を一笑に付してしまった。昴の方は、破局後も気持ちは朝野に向いていたにもかかわらず、あてつけのようにして他の女性と交際していた。つまるところ、枇杷と昴はそれぞれ、自身の行動が朝野を死に追いやったという感覚を拭えずにいるのである。だからこそ、枇杷は職に就くような気力を持てずにいるし、昴はマッサージ師として働きながらも心のどこかで自らの死を望んでしまっている。

 しかし、こうした重い設定にもかかわらず、本作は読者に対して陰鬱な印象を与えてはこない。それどころか、枇杷と昴のやり取りは出来のよい掛け合い漫才のようで、言葉の端々にお互いが親密さを感じている様子が窺える。昴が強盗まがいの行為を働いたのは朝野の写真を手に入れるためであり、セーラー服を着ているのも、自分が朝野となることで彼女をこの世界に生かし続けたいと考えているからだ。それは確かに滑稽に映るかもしれないが、裏を返せば、彼が朝野の存在とその死を強く引きずっていることの証明でもある。それが分かるからこそ、枇杷と昴は互いの朝野に対する愛を尊重し合う同志のような距離で接することになる。

 彼らは共に時間を過ごした先で、罪の意識を原因とした停滞から抜け出すことに成功する。伊豆で働き始めた枇杷を一年後に昴が迎えに行くという結末は、ご都合主義に見えるかもしれないし、少なくともそこにある愛情が虚構めいたものになることは避けられないだろう。けれど、その上で彼らの再会がたまらなく愛しく思えてしまうのは、作者が「キャラクター」を作ることに成功しているからである。「キャラクター」を産むというのは、ある登場人物の虚構性を強調しながら、同時に現実との距離を測り、読者の感情移入を誘う行為に他ならない。枇杷と昴という二人の「キャラクター」が朝野の喪失を超えて辿り着いた関係性は、枠組みとして名前を与える間でもなく、いつまでも回転を続けていく美しいものとして映るはずだ。

 その意味で本書は、まさに優れた「キャラクター小説」なのであり、現実にも幻想にも縛られない自由な領域へ文学を拡張する意志を備えた作品として、我々の前に提示されているのだ。

新潮社 波
2015年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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