人を再生させる島 江上剛『鬼忘島』刊行記念インタビュー

インタビュー

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『鬼忘島 金融捜査官・伊地知耕介』刊行記念インタビュー 江上剛/人を再生させる島

 沖縄の宮古島の近くに、伊良部(いらぶ)島という小さな離島があります。数年前に取材でこの島を訪れた時に、地元の人が言った一言が、今回の作品を書く大きなきっかけになりました。

「私、日本語が下手でね」

 その人は私を案内しながらそう言ったのですが、その言葉がとても印象に残ったのです。日本の島の人なのに、なぜそんなことを言うのか。彼と話をしながら考えているうちに、その島が歩んできた歴史に行き当たりました。

 われわれは島というと、とかく因襲にとらわれて閉鎖的で、よそ者を排除するといったイメージを抱きがちですが、伊良部島はそうではありません。何百年も前から、中国や日本やその他の国から様々な人々が流れ着いて暮らしてきました。そういった流れ人をみな受け入れて成り立ってきましたから、島の人たちの気質は実にオープンで、自分たちは日本人だという意識が希薄なんです。そのことに気づいた時、東京で問題を起こして逃げてきた人間がこの島で再生していく物語の構想が浮んできました。

 ピュリッツァー賞を受賞し映画化もされた『シッピング・ニュース』(E・アニー・プルー)という小説も、トラブルを抱えた一人の男が自分のルーツである島に移住して、そこで新聞記者として働きながら再生していく話です。その作品が心に残っていて、伊良部島の話と重なり合い、新たな小説を立ち上げてみたくなりました。

 ただ、それだけでは要素が不足していますので、編集者とも相談して、私自身が体験してきた金融の世界の問題も盛り込むことにしました。結果的に二人の男が主役となりましたが、一人は金融のトラブルに巻きこまれて島にやって来た男。そして、もう一人の主人公が今回初めて登場させた「金融捜査官」という役割の男です。

 金融機関の検査を行う「金融検査官」についてはこれまでも『小説 金融庁』などの作品で書いてきましたが、そこから一歩進んで金融庁長官の特命によって金融事件の捜査、取り締まりの権限を有し、拳銃の所持も認められた金融捜査官の伊地知耕介というキャラクターを作ってみました。

 もちろん、現実にはそんな人間は存在しませんので、ご批判もあろうかと思います。ただ、これだけ金融にまつわる事件が多発している今、麻薬取締官のように潜入捜査をしたり、大きな事件の発生を未然に防ぐために、組織の枠を超えて動くスーパーパワーを持った人がいてもいいんじゃないか。そんな思いで描いてみました。知り合いの金融庁や財務省の関係者に話をしたら賛同してくれましたし、伊地知は今後も活躍の場を与えてみたいキャラクターになったと思います。

 この小説の一つのテーマは、金融における正義とは何かということです。その問いへの答として、仕事をする上でまっとうな道を見つけようとする人間と、それを見失って駄目になっていく人間の両方を描きました。私自身も銀行に勤めている時には、金融によって人を幸せにしたいと願ったつもりです。もちろん、良かれと思ってやったことで躓(つまず)いてしまった経験もありますが、重要なのはそういった気持ちを保つことで、それさえあれば何かあっても再生できるんです。正義を探し求める心を失った時に、お金は魔物と化して暴れ出し、誤った道に転落していくのではないでしょうか。

 日本の再生を望む声が高まる昨今、もっと沖縄に目を向けるべきだと私は思っています。小説の中に出てくる沖縄の歌、伝説、祭りなどは、すべて資料の中で見つけたり、実際に見聞したものを活用しました。また、泡盛の製造工場を舞台の一つにしましたが、地元の人が「汚れた心を持つ人間ではいい泡盛は造れない」と語るように、泡盛こそ厳しい暮らしを強いられてきた沖縄の人々の魂の象徴です。沖縄には日本の文化の源流があると言う人もいますが、様々な国や人を受け入れて平和的に交流を続けてきた沖縄の文化には、再生へのヒントがたくさん含まれていると思います。

 書名の「きぼうじま」は当初は「希望島」と考えていたのですが、鬼を忘れると書くことで、辛さや不幸を忘れるとの意味を込めました。読んで下さった方に束の間でもそのような感覚を味わっていただけたら、作者として嬉しく思います。

新潮社 波
2015年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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