池田清彦・インタビュー わからないことだらけの「生物のルール」 『生物学の「ウソ」と「ホント」 最新生物学88の謎』刊行記念

インタビュー

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生物学の「ウソ」と「ホント」

『生物学の「ウソ」と「ホント」』

著者
池田 清彦 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784104231119
発売日
2015/03/18
価格
1,430円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『生物学の「ウソ」と「ホント」 最新生物学88の謎』刊行記念インタビュー 池田清彦/わからないことだらけの「生物のルール」

――今回の新刊では、生物をめぐる根源的な疑問から、不思議な生命現象の仕組みまで、様々なトピックを扱っていますが、ひと口に「生物学」といってもその対象領域は広大ですね。

池田 ミクロな物質レベルの研究は生化学にも近いし、たとえば古生物の研究のような地球レベルの話は地学ともその領域が重なる。もっと極端な例で言うと、生物の起源は天体から降ってきたというような話は、天文学にも近くなってくるわけです。つまり、分子の世界も生態系全体も全部、生物学の対象になるのだから、とにかくとても広範だよね。

 そして、それらを全部知っている生物学者は、いない。今は、ミクロのレベルでも、たとえば細胞のミトコンドリアだけを研究しているとか、専門がより細分化している。そういう専門家同士は横のつながりがあまりないし、自分のやっている学問の対象に深くのめり込んでいく一方で、それが全体のなかでどんな位置にあり、どういう意味があるのか、わからなくなりがちです。

 僕は、もともと実験はあまりやっていなかったし、若い頃にやっていたフィールドワークもその後やらなくなった一方で、いろんな人の本や論文を読んで、様々なレベルのことに興味を持ってきたから、相応にいろんなことを知っては、考え、本を書いているんだけれども、個々の専門家から見れば情報が古いと言われてしまうところもあるだろうね。どうしたって、ジャーナル(査読つきの学術論文誌)に載ったときにはもう、それは少し古い話になってしまっている。最先端の研究をやっている専門家は常にもっと先を行っているから。

――今回の本『生物学の「ウソ」と「ホント」』のサブタイトルは、「最新生物学88の謎」ですが……。

池田 一般読者に対しては「最新」といっても問題はないだろうと思いますよ。それに、生物学者にしても自分の専門外のことについては僕が本に書いているような話をほとんど知らなかったりする。生物学全体について広範囲に語れる人というのが、ほとんどいないんです。また、広範囲に知っている人がいても、そういう人は今、大学の教授とか研究者にはなかなかなれないしね。医学部でも、理学部でも、教授になるためには、専門的な、査読つきの論文を書かなくてはならない。そのためには、特殊な実験をしなければならなかったり、あるいは、新しい理論を構築するにしても、ある領域の最先端の話にしなくてはならない。昔はそれぞれの専門がそんなに細かく分かれていなくて、知識レベルもそんなに深くはなかったから、自分の専門領域を研究しながら生物学の全領域もカバーするような人もいたけれども、今はそういう人があまりいないんですよ。僕としては、多くの人に「生命とは何か」とか「生物とはどういうものか」とか、そんなようなことに興味を持ってもらいたいと思っているから、できるだけ広範囲に、様々なトピックを選んで、なんとか面白く読めるように、今回のような本も書いているんだけどね。

――様々なトピックを通して読者の方々に知ってもらいたいと考えているのは、大まかにいえば、どんなことですか。

池田 生物の原理は極めて曖昧だということです。もちろん、原理がないわけではない。それなりにルールがちゃんとあるんだけれど、なかなかそれをうまく明示的に記述することができない。物質と密接に関係しているルールはかなり厳密に決まっている。たとえば遺伝暗号のルールはほとんどの生物に共通の厳密に決まっているルールですね。「免疫」も物質のレベルの話ではあるけれど、高分子になって、タンパク質同士の関係になるわけで、そうすると、ルールが少し曖昧になるというか、ちょっといい加減になってくる。メインのルールはあるんだけど、そこにサブのルールがあれこれ絡んで、ひとつのルールでは説明できないことが起こる。アノマリーが生じて自己免疫病になったり、アナフィラキシーが起きたりメインのルールに反するようなことが起こるわけです。

――メインのルールに反するといっても、生物独特のルールが物理化学法則に反する別個のものということではないですよね。

池田 生物のルールは恣意的に適当に決まっているんだけど、物理化学法則に矛盾しているわけではない。物理化学法則の場合は、力学的にも化学的にも最も安定なところに落ちるから、わりに一意に決着するというか、必然的にあるところに落ちつく。生物のルールの場合は、物理化学的に安定なところ、最も蓋然性があるところにかならずしも落ちつかないで、不安定なところに留まることが多い。だから、ヘンチクリンに見える。普通の物理化学・熱力学的に、いちばん安定しているところに落ち着くわけではなく、可能性を限定してルール化しているのが、生物のルールなんです。物理化学法則で全部説明しろと言われてもとうてい説明できないわけで、何かローカルなルールが働いているのかもしれないけれども、生物の場合はわからないことが多すぎる。

 また、ルールがわかったと思っても、そのルールが途中で変わってしまうというようなことも生物ではあるからね。

――ルールが途中で変わるというのは、たとえば?

池田 進化がそうですよね。それまでのルールと違うことを、途中からしはじめるわけでしょ。そのために生物の形が大きく変わってしまったりするわけで。

 ヒトならヒトの、受精卵から人間になるルールの範囲の中で起きることは、すべての人間に共通することだから、その共通性を取り出して示せば、それが人間の体の中を司っているルールだとわかるわけだけど、もしそれが途中で変われば、別の生物になってしまうことも起こるわけです。そういうことは普通の物理化学のルールの下では起こり得ないでしょう。そもそも人間の形はどうやってできるのか、すべてを厳密に記述するなんてことを、誰もできていないわけだから、そういう意味では、人間のルールはちっともわかっていないわけです。わからないからといって、「神が創った」と言ってしまったら、それは生物学的には「ウソ」だし、それ以上の進歩もなくなってしまいます。生気論のようなもので説明してしまうのは、“生物学のルール”に反するというか、それはもはや科学ではないんだよね。

 不思議な現象を前にすると、物理化学とは関係なく、「神が決めた」とか、そういう話になりがちだけど、科学というのはわからないことがある限りは進歩するわけです。もしもすべてがわかって、すべてを説明できたら、それで終わりです。

 ネオダーウィニストは、自然選択と突然変異ですべて進化を説明しようとするんだけど、それって神が生物を創ったという話と大して変わらないでしょう? そんな、わからないところを単純化して説明してわかったような気にしてしまうやり方は、いま、いろんなところに蔓延っている。たとえばCO2が増加したのが地球温暖化の主因だという単純な言説もそうですね。

 原因がいっぱいあるであろうことを全部、ひとつの原因やひとつの法則で説明してしまいたがるのは、なぜなんだろうね。人間にはそういうパトスでもあるのかねえ……?

――サブタイトルにあるように、今回の本では「88の謎」を扱っているわけですが、それらの「謎」を全部、解き明かしているわけではないですしね。

池田 わからないものはわからないからね。

――わからないものについて、「なぜわからないか」ということを説明している項目もあります。

池田 さっき言ったように、科学というのは、わからないことがある限りは進歩するし、すべてを説明できたら、それで終わり。生物に関して「全部、解けました」と言っている人がもしいたら、それはたぶんインチキだと思う。

 複雑な何かを統一理論で説明できそうだとなると、それが魅力的に見えてしまうのだろうけれど、実際はなかなかそうはいかない。とりわけ生物の場合はなかなかそうはいかない。

 ともあれ、今の生物学が解明できている現象もあれば、解明できていないと思われる現象もあるわけで、まだ解明されていない事柄について、僕の本を読んで、「じゃあ、その謎は私が解いてやろう」という人が出てくれば、それはそれでもちろん大歓迎ですよ(笑)。

新潮社 波
2015年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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