鹿島田真希・インタビュー 「本当」の物語をあなたに 『少女のための秘密の聖書』刊行記念

インタビュー

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少女のための秘密の聖書

『少女のための秘密の聖書』

著者
鹿島田 真希 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784104695058
発売日
2014/12/22
価格
1,728円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『少女のための秘密の聖書』刊行記念インタビュー 鹿島田真希/「本当」の物語をあなたに

アダムとエヴァ、兄弟殺しのカインとアベル、近親相姦のロト――旧約聖書はなぜこんなにも残酷でエロティックで魅惑的なのか。クリスチャンでもある著者に聞く。

――鹿島田さんはカトリックやプロテスタントではなく、ニコライ堂が日本での総本山になる正教徒なんですね。帝政ロシアの国教だったこの宗派に、ドストエフスキーの文学がきっかけで、17歳の時に自らの意志で入信なさった。そんな鹿島田さんと旧約聖書の出会いを教えてください。

 団地に住んでいた幼い頃、そこの公園に牧師さんがやってきては「ノアの箱舟」や「アダムとエヴァ」「バベルの塔」などの紙芝居をやってたんです。布教活動の一環だったんでしょうね。友達にはその絵も話も怖いと不評でしたが、私は子供の時からイソップやグリムのような残酷な童話が好きだったので、当時は昔話として興味深くその紙芝居をみていました。受洗してからは旧約聖書も新約聖書もどちらもお祈りの時に読まれるものですから、魅了されました。この二つは全く違うものではなく、旧約の主人公である神様を、新約では神でもあり、人でもある、イエス・キリストがなぞっていく、といえば分かりやすいでしょうか。勿論様々に解釈が分かれるところではありますが。

――日本人にとって、旧約聖書は「何となく知ってる」つもりでも、いざきちんと読んでみると、兄弟殺し、近親相姦、夜這い、男色、何でもありで、驚くべき物語の宝庫です。モーセにしても、人を殺したことがはっきり書かれていて驚きました。「旧約聖書」を紹介してほしいと企画を持ちかけた時、どう思われましたか?

 旧約聖書と一口に言っても、幾つもの、それも長さの違う物語の集合体ですし、それぞれの解釈も難しい。大変な仕事になるだろうなとは思いました。が、自分自身、新しい発見があって、やってよかったと思っています。たとえば、そのモーセと神の密室的な関係性を丁寧に見ていくと、やはりキリスト教とはエロスとアガペーなど、様々な愛の形が混在した教えなのだと思わざるをえません。それは今も、神と信者一人一人の絆として継承されているのでしょう。エロティックだったり、一見グロテスクに感じるところがあるかもしれませんが。

――聖なる道はエログロに通ずといったところでしょうか。

 エログロの中にも聖なるものになるものはあるかもしれません。

――この本で、主人公である少女に旧約聖書を読み聞かせるのは、パンツ泥棒疑惑のかけられたお兄さんです。聖書のテキストを挟み込む小説部分には、黒い靴下の少年や、母親、少女の二の腕を執拗に触る義父らが登場します。小説世界と聖書の世界が呼応し合うような展開は、初めから構想なさってたんですか?

「私のために偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、幸いである」(マタイ5:11)という言葉が新約聖書にあります。性犯罪者呼ばわりされるお兄さんが、聖なる言葉を伝える存在であるというのは面白いかなと最初から思っていました。一方で母や義父は一見立派な存在に見えるけれども、実は……と視点が変わる形で、人の欲望のあり方を示してみたかったのです。

――旧約聖書の中では、どの話が一番好きですか?

 この本でも扱った、ナオミとルツの話はすごく好きですね。姑であるナオミに素直に従って、地主の男に夜這いする嫁のルツが善き人として扱われることに驚かれるかもしれません。意外かもしれませんが、神様を信じる人というのはどこか図々しく、またそれがよいとされることがあるのです。新約にもキリストが見たくて、木に登った背の低い男が登場しますが、信仰のある人がある切実さにつき動かされて、遠慮せず、積極的に行動することがあります。またルツの時代では、夜這いが当たり前の習慣でしたので、姑に命じられてそれをして、あっけらかんと玉の輿にのる、という昔話独特の面白さもあります。クリスチャンというと、道徳や社会通念に従う貞潔な人と思われるかもしれません。反対に「アウトロー聖人」のようなものを期待する人もいるかもしれません。ある潔癖さからはみ出したかと思えば、反対に魅力的な挑発もしない。そのような意味で、常に人々を裏切り続ける、アンヴィヴァレントでエキセントリックな存在かもしれません。

 モーセも神から十戒を授かる時は、ホレブ山に一人で登っていきます。道を究めようとすることは本質的に孤独な時を経る必要がある。しかし不幸ではありません。主人公の少女の最後の姿には、それが現れているのかもしれませんね。

新潮社 波
2015年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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