石橋を叩いて豹変せよ―川上哲治V9 巨人軍は生きている [著]矢島裕紀彦[編]NHK「時代をプロデュースした者たち」制作班

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石橋を叩いて豹変せよ―川上哲治V9 巨人軍は生きている [著]矢島裕紀彦[編]NHK「時代をプロデュースした者たち」制作班

[レビュアー] 立川談四楼(落語家)

 懐かしくも胸が躍った。あの巨人軍のV9時代を、資料とインタビューを駆使して様々な角度から綴ったノンフィクションは、夜更しに値する読み応えだった。

 率いた監督は川上哲治。現役時代は赤バット、弾丸ライナー、球が止まって見えた発言等で知られ、私がかすかに覚えている現役の晩年は“テキサスの哲”と呼ばれていた。往年の打棒が影をひそめ、ポテンヒットが多かったからだ。

 栄光の打者川上が巨人の監督に就任したのは昭和35年、奇しくも米国ではJ・F・ケネディが新大統領に選出された年だった。その翌年、米国を代表するドジャースのベロビーチ・キャンプに招かれたことが川上開眼のきっかけとなる。いわゆる“ドジャースの戦法”を取り入れるのだ。

 それまでの日本の野球は職業野球から脱し、プロ野球として定着しつつあったが体質は旧態依然で、エースやスラッガーがチームを牛耳ることも珍しくなかった。川上はドジャースから“監督の絶対権限”を取り入れ、それが改革の端緒となった。

 他球団からの選手やコーチの招聘も軋轢を生んだが、“哲の意志”で押し切った。のみならず広報を置き、選手をマスコミから守った。いわゆる“哲のカーテン”である。

 今ではごくあたりまえのことだが、川上が日本初を何度もやっていることに、あらためて驚かされる。長嶋は初年度から活躍したが、王は芳しくなかった。“王、王、三振王”、そんな野次を思い出す。世界の王に酷いことを言ったものだ。

 国鉄から来た金田のことや、生え抜きである広岡の退団が“泣いて馬謖(ばしょく)を斬る”形であったとの件(くだり)では“王、金田、広岡”というダジャレを鮮やかに思い出した。“おう、カネだ、拾おうか”。

 読者はハタと、本書がすでに歴史になりつつある昭和の戦後史であることにも気づくことでしょう。V9はあの時代とともにあったのだと。

新潮社 週刊新潮
2015年12月3日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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