なぜ外交官の諜報は 戦争を止められなかったか

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戦争と諜報外交 杉原千畝たちの時代

『戦争と諜報外交 杉原千畝たちの時代』

著者
白石 仁章 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
社会科学/政治-含む国防軍事
ISBN
9784047035652
発売日
2015/11/20
価格
1,728円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

なぜ外交官の諜報は 戦争を止められなかったか

[レビュアー] 一ノ瀬俊也(埼玉大学准教授)

 本書は、昭和戦前期に欧米各国の外交舞台で活躍し、「日本外交を健全な方向に導こうと努力し続けた真のプロフェッショナル」である四人の外交官の生き様を描く。

 第一章の斎藤博は、駐米大使として、日中戦争勃発により極度に悪化した日米関係の立て直しに尽力した。エリート中のエリートである彼は、本書のタイトルにある「諜報」活動とは縁遠いように思うが、外交官として持っているべき「情報収集能力」「危機管理能力」「広報活動のセンス」のうち、広報活動の面で才能を発揮したということだろう。

 第二章の杉村陽太郎は、駐伊大使として一九四〇年・第一二回オリンピックの東京招致実現などに奔走した。しかし在任中に伊国が親日国エチオピアを侵略したことから両国、さらに判官贔屓により親エ的だった日本国内の世論との板挟みとなり、苦悩する。

 第三章の来栖三郎は、駐独大使として日独伊三国同盟に署名したことで知られるが、本人はドイツについて批判的な情報を本国へ送るなど、提携強化に反対であった。この章では、損な役割を与えられ、戦後の評価も高いとは言えない来栖の再評価が試みられる。

 第四章の杉原千畝は、著者がすでにいくつかの著書で扱ってきた人物であり、本書の白眉ともいえよう。杉原といえば、リトアニア・カウナスの領事館で亡命を求める多くのユダヤ人にビザを発行し、その命を救ったヒューマニズムあふれる人物として著名だが、本章で描かれるのは、対ソ情報収集のプロ――インテリジェンス・オフィサーという別の顔である。

 一九四一年、杉原がポーランド人将校とともに独ソ国境へ実地探査に赴き、そこで独軍が大量の兵力を集結させており、したがって独ソ開戦は近いという情報を入手したくだりは、まさに諜報の「鬼才」たる杉原の面目躍如といえる。

 以上の四人は、いずれも国のため、戦争の惨禍を回避するために力を尽くした。その激務と心労により斎藤は米国で客死、杉村も現地で癌を患い、帰国後亡くなってしまう。悲劇的なのは、結局彼らの努力が報われなかったことで、一九三九年に日米友好を唱えて斎藤の遺骨を日本へ運んだ米巡洋艦アストリアは、太平洋戦争で日本軍により撃沈される。また、来栖の息子・良は陸軍の航空技術士官として日米航空戦に参戦するが、戦争末期に飛行機事故死してしまう。歴史という大渦の中での、個人の無力さを痛感させられる。

 ところで、著者・白石氏の主たる問題関心は、なぜ日本を破局へと導いた対米英戦争は止められなかったのか、という点にあるという。杉原たちが命がけで本国へ送った情報が政策決定に生かされれば、あるいは歴史は違うものになっていたかもしれない。なぜそうならなかったのかという疑問は、たぶん多くの人が共有していることだろう。

 著者は、杉原たちの情報が生かされなかった理由を、「戦前期における日本の政治体制が抱えていた構造的欠陥」にあると指摘する。この「構造的欠陥」の解明は、日本近代史研究上の、きわめて重要かつ今日的な課題である。

 なぜ、そのような「欠陥」が生じたのか、という問いについての評者個人の考えを述べれば、本国の外務省トップが、自分の聞きたい情報しか聞こうとしなかったこと、およびそれをチェックする制度を欠いていたことであろう。彼らは、米英と協調するのではなく、独国やソ連と結ぶことで米英を威圧し、泥沼化した日中戦争の解決――もちろん日本に有利なかたちで――をはかっていた。万が一、その独国とソ連が戦争を始めれば、それらの構想が根本から吹き飛んでしまう。だから、自分たちに不利な情報は無視したのではなかったか。

 なぜ昭和戦前期の外交政策では、そのようなことがまかり通ったのだろう。私もこの重要な問いを改めて考えたいと強く思った。その意味で、非常に刺激的な一冊である。

KADOKAWA 本の旅人
2015年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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