【教養人のための『未読の名作』一読ガイド】変容 [著]伊藤整

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変容

『変容』

著者
伊藤, 整
出版社
岩波書店
ISBN
9784003109625

書籍情報:openBD

【教養人のための『未読の名作』一読ガイド】変容 [著]伊藤整

[レビュアー] 川本三郎(評論家)

 老人にも性への強い思いがある。自分は決してまだ枯れていない。

 老人の性を描いた小説と言えば昭和三十年代のなかばに発表された川端康成の『眠れる美女』と谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』が知られる。どちらも老人が若い女性を人形、愛玩物としている。

 これに対し本作は、女性をあくまでも対等な性の相手としてとらえている。雑誌『世界』に連載されたあと昭和四十三年に岩波書店から出版され、老人の性を大胆に描いたと評判になった。

 主人公は龍田北冥という功成り名を遂げた日本画家。還暦が近い。現在では六十歳はまだ若いが、当時ではもう老人。

 北冥は十五年前に妻を亡くした。以来、一人。子供はいない。亡き友人の作家の文学碑がその故郷の城下町に作られ、除幕式に出席する。そこで作家の姉、日本舞踊家の咲子に再会する。北冥は青年時代、一夜、夫のいる年上の咲子に抱かれたことがある。

 再会したあと二人は再び求め合う。驚くのは二人の年齢。六十歳に近い男が、六十歳を超えた女を抱く。伊藤整はそれをごく自然のこととしている。しかも咲子という老女性を美しく、魅力的に描いている。そこが新鮮。

「(咲子が)抱かれる喜びに陶酔するさまは、ほとんど芸のようだった」

 北冥は以前、高名な歌人とも夜を共にしたことがある。やはり六十歳を超えた年上の女性で、一線を超えると素直に乱れ、快楽に惑溺した。

「銀狐のように白さを点綴(てんてい)したかくしげに包まれたその暗赤色の開口部は異様に猛々しかった」

 こうした描写が決して卑猥ではなく、女人讃歌になっている。北冥が女性の美を追求する画家という設定も効いている。

 さらに北冥はかつて絵のモデルにしていた歌子という銀座のバーで働く女性と縒(よ)りを戻す。彼女も四十歳を超えている。老いを自覚した画家はそれだからこそ社会の束縛から離れ「感覚の求めるものすべてを善としたい」と願う。

 伊藤整はこの小説を出版した翌年、六十四歳で死去した。

新潮社 週刊新潮
2015年12月10日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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