人物列伝風の日英関係史

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人物列伝風の日英関係史

[レビュアー] 平山周吉(雑文家)

 歴史の見え方とは、外交交渉相手の側から見ると、こんなにも変わってしまうのか。中国や韓国といった、現に「歴史戦」を仕掛けてきている国家の見方が日本と対立するのはなんら不思議ではない。本書は日英同盟という、曲がりなりにも二十年の実績を積み上げてきた大英帝国が、同盟解消後の帝国日本をいかに厳しく評価していたかを、如実に描いて暗然とさせられる。

 日英関係史が専門のアントニー・ベストの『大英帝国の親日派』は、人物列伝風な外交論、政治論である。一次史料に基きながらも、エピソード豊富で読みやすく、堅苦しくない。人物の輪郭線がくっきりと見え、人物月旦としては申し分ない。俎上に載せられるのは日英両国の十五人の首相、外相、大使などである。

 その中で日本人は二人だけだ。吉田茂と重光葵(まもる)。一九三〇年代の危機に際し、駐英大使となって意欲満々で赴任した大物外交官である。人選は妥当だ。訳者の武田知己が指摘するように、日英の妥協を積極的に模索した、穏健な「日英協調論者」であり、日本外交史の立場からは評価の高い二人である。その二人に対してさえ、という嘆息が思わず洩れてしまう。

 著者はまず「太平洋戦争が本質的には日英戦争であった」こと、日英の重要な争点は、東南アジアの支配権と天然資源であったことの確認から始める。かつての同盟国が「いったい何を間違えたのか」。著者が挙げるのは中国に対する両国の評価の相違である。イギリスは中国が近代国家として成長し、有望な市場となることを望んでいたが、日本は「政治的・経済的に支配することができるような弱い中国を欲していた」。一時代前の中国観にとらわれ、一周遅れの帝国主義国家としてふるまったというのだ。日本はイギリスに親中国政策の放棄を迫り、イギリスは譲歩の末に、「日本と一戦交えることを厭わぬ」決心をしていく。

 その間にあって、「日英同盟の信奉者」で、日英再同盟を模索した吉田茂と、東アジアにおける「日本の経済的政治的覇権」を認めさせようとした重光葵は、イギリス外務省からどう見られていたか。吉田は本国からの指示によらず、また外務省以外の有力者への働きかけを行なっていた。その「通常の外交儀礼に反する行為」をイギリス外務省は不快感をもってウオッチしていた。重光の場合は、外交公電が傍受され、重光が真の親英派ではないことを把握されていた。

 イギリスの政局を見誤っていた、というのが著者のもう一つの見解である。重光は親米派と親ソ派が日英友好を妨げていると判断し、親日派に接近していく。そこで「イギリスの親日的傾向を過大評価しすぎ」、日本に対する道義的批判やイギリスの利害関係を見落とすことになったというのである。日本大使館があまりにも親日的な保守的グループの情報に依存し過ぎたゆえの観測の間違いであった。重光はハリファックス外相を「純正保守党系」と判断するが、実は、「日本が中国で市民に無差別爆撃を行ったことに唖然とし、対日強硬路線を主張し続けた人物」なのであった。満州事変以後の日本の国策と軍隊の行動が、外交の選択肢を狭めていったのだから、その流れの中で光明を見出すのは確かに難しかったであろう。それにしても、ボタンの掛け違えがあり過ぎた。

 吉田茂と重光葵にかかずらわり過ぎてしまった。本書の魅力はそれ以外のところにも多い。戦後、日本政府から勲一等瑞宝章を授けられたピゴット陸軍少将も本書の登場人物の一人だ。子供時代を日本で過ごし、大正天皇に英陸軍名誉元帥の称号を贈ることを提案し、駐在武官となって「心から日英両国の友好関係を信じ」たのがピゴットである。ピゴットはその回想録『断たれたきずな』が日本で読まれ、ロンドンのジャパン・ソサイエティの議長にまでなった一貫した親日派であった。

 イギリスの外交官としてアーネスト・サトウ以来の知日派で、『日本史』『西欧世界と日本』などの著書があるジョージ・サンソムは、ピゴットと同じ時期に東京勤務をしていた。そのサンソムは、「ピゴットこそが『国家の危険』そのものだ」と断罪しているという(本書にサンソムの一章がないのは残念だ。サンソムの厳しい日本評価がイギリスの為政者に影響するところ大だったと書いてあるからだ)。ピゴットは太平洋戦争勃発時には、国土防衛法違反で逮捕することも検討された。「親日派」そのものが、イギリス本国では邪魔な存在と見なされてしまっていたのだ。

 大英帝国である以上、チャーチルの一章は欠かせない。本書ではわざわざ日本人向けに書き下ろされている。チャーチルは『第二次世界大戦回顧録』で、日本に関する知識はほとんどなかったと書いている。ひたすら戦略的視点からのみ日本を見、一切のセンチメンタルな感情を持たなかった。植民地大臣だった時には、日英同盟継続は「渇きを癒すのに塩水を飲むようなもの」と反対した。「アメリカの強い反発」を恐れたためだ。ところが『回顧録』では、自らが同盟終焉に果たした役割には触れず、ワシントン会議で同盟が終わったことを嘆いてみせた。「世界平和に決定的な価値を有することになる多くの絆を断ちきることになった」と。このくらい厚顔でないと、国際政治場裡には立てないのだろう。

 チャーチルは日本を「弱い国」と見ていた。ボールドウィン首相への手紙で、日本との戦争は、我々が生きている内にはほとんどない、と断言していた。

新潮社 新潮45
2015年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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