「反・読書」の画家の自伝的記憶

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言葉を離れる

『言葉を離れる』

著者
横尾, 忠則, 1936-
出版社
青土社
ISBN
9784791768868
価格
2,310円(税込)

書籍情報:openBD

「反・読書」の画家の自伝的記憶

[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

 表紙絵にマグリットの「従順な読者」が使われているが、この本の著者は徹底的に従順ならざる読者である。一生を通して読書から一定の距離を置き、言葉のくびきから全力で逃れようとしている。流れに身を任せ、来るもの拒まずを人生の指針としてきた人にとって、唯一拒んできたのが、書かれた言葉を無条件に自分の中に取り入れるということだと言えるかもしれない。

「他人が見たり聞いたり考えたことに依存などしないで自分の眼と足で自由に出掛けて行って他人が読書で経験した以上の成果を自らの肉体に移植させた方がずっといい」――なんと説得力のある「反・読書」の言葉であろうか。

 この言葉が恐ろしいまでに説得力を持つのは、この本で紹介される人生経験があまりにも豊かで、バラエティに富んでいるからだ。著者の人生ではいつも、さまざまなジャンルの才能あふれるユニークな人が、運命であらかじめ定められていたかのように、向こうからどんどんやってくるのだ。

 彼らとの共作を通して仕事の領域も拡大していくが、著者はあくまで「言葉を離れる」姿勢を崩さない。三島由紀夫や柴田錬三郎ら作家と親しくつきあうようになると以後、その小説は読まないし、ブックデザインの仕事をするときも作品は読まず、それが「内容を適確に表現している」と評価されたりしている。

 モーリス・ベジャールの依頼で「ディオニソス」の舞台美術を手がけた時も、ディオニソスについての本もニーチェもワーグナーに関する本も一冊も読まなかったというから徹底している。著者は外国語を話せないそうだが、もともと言葉との距離を取る人だからこそ、ハンディになるどころか強みとなり、ここまで国際的に活躍できたのではと思えてくる。

 大人になってからは、そのときどきの興味、インドだったり精神世界や天才についての本、少年文学を集中的に読んだりもしているが、教養を身につけるための読書ではないから、たとえばデザインから絵画に転向したとたん、精神世界の書物から得た知識がすっぽり記憶から失われる、というのも面白い。

 本書の十七章から十八章の間には二年以上の時間の空白がある。足のけがや不安神経症などいくつか理由が重なっているが、おもな理由は加齢によって自分から言葉が急速に失われるのを実感したことだといい、最後の十九章は口述筆記になっている。言葉を観念ではなく身体的経験とみなす著者は、意図せずに起きたこの新しい変化を観察し、どこか面白がっている。新たなステージに入った言葉とのつきあいを通して著者の作品にこれからどんな変化が表れてくるのか、興味深い。

新潮社 新潮45
2015年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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