関東大震災で放たれた囚人運命の24時間と歴史の真実

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典獄と934人のメロス

『典獄と934人のメロス』

著者
坂本, 敏夫, 1947-
出版社
講談社
ISBN
9784062196758
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

関東大震災で放たれた囚人運命の24時間と歴史の真実

[レビュアー] 東えりか(書評家・HONZ副代表)

 大正一二年九月一日午前一一時五八分、関東大震災が起こる。被害は甚大で、一〇万人以上が死亡あるいは行方不明になったと言われている。

 横浜では大火災が起き、港沿いのレンガ造りの商館や官庁は倒壊した。横浜地方裁判所では最も広い法廷で労働争議の審理が行われていたが、一〇〇人余りの人が建物の下敷きになり生き埋めとなった。

 現在の横浜市磯子区にあった横浜刑務所も被害は免れなかった。外塀、庁舎建物、七棟の工場、独居房や重拘禁房もすべて崩れ落ちた。収容されていた囚人は一一三一人で死亡者三八人。職員の死亡は三人であった。

 当時の典獄(刑務所長)は椎名通蔵(みち ぞう)という初の帝大出の監獄官吏で、四か月前に赴任してきたばかり。たたき上げの幹部とはそりが合わなかった。

 震災直後、横浜市内は大火災となっていた。ここに火の手がまわるのも時間の問題だ。職員は即座に埋まった重要書類の保管にかかる。囚人たちは避難場所に集まり、自発的に救援作業や日常に必要な品を集めていた。やがて火事が発生した。

 椎名はここで腹をくくる。監獄法では天災で避難も護送も不可能な場合、二四時間の解放を認めている。千人もの囚人を解き放つことに不安はあるが、このままでは助からない。全ての責任を負うと決め、看守たちの反対を押し切り、解放を断行した。

 この日の午後六時三〇分をもって、椎名は囚人たちの解放を宣言する。期限は二四時間で、戻らなければ逃走罪として罰する。柿色の囚衣で襟には番号と名前が書かれている。町中では危険を回避し善行を成せ。留まっても食事の用意はできない。家族の安否を尋ね、復旧の手伝いをするように、と言い渡した。

 解放囚の一人、福田達也は生家である相模野の溝村に向かう。途中、暴漢に襲われ警察に捕まるが、翌朝には辿り着いた。周辺の人たちの救助を行うには時間が足りない。代わりにと、妹のサキが刑務所に戻り兄の帰還を待つことになった。メロスを待つセリヌンティウスさながらに。

 解放された囚人は信じてくれた椎名典獄のため、悪事を働くことなくほとんどが戻った。そればかりではない。彼らは進んで横浜港の復興のために粉骨砕身、励んでいくのだ。

 著者は元刑務官。横浜刑務所にこの記録が残されていないことに気づき、サキの娘から詳細を聞いた。約三〇年間、断片的な事実を組み合わせ、記録が残されなかった大きな理由に辿り着く。まさに心血を注いだ労作であり傑作である。

坂本敏夫
1947年生まれ。祖父も父も刑務官であり、本人も法政大学中退後、刑務官に採用された。全国各地の刑務所や拘置所で勤務し、退官後、作家に。著書多数。

新潮社 週刊新潮
2015年12月24日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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