『ハリネズミの耳 音楽随想』新保祐司

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『ハリネズミの耳 音楽随想』新保祐司

[レビュアー] 桑原聡(産経新聞社 文化部編集委員)

■「宿命の主調低音」を聞く

 《こうして私は、私の解析の眩暈(げんうん)の末、傑作の豊富性の底を流れる、作者の宿命の主調低音をきくのである》

 小林秀雄が自身の批評の原点を語った言葉だ。本書は小林の「モオツァルト」を仰ぎ見ながら、「作者の宿命の主調低音」を聞き取ろうと「ハリネズミの耳」で音楽と向き合った記録である。「ハリネズミの耳」とは古代ギリシャの詩人アルキロコスの残した断片《狐(きつね)はたくさんのことを知っているが、ハリネズミはでかいことを一つだけ知っている》に由来する。ここで「でかいこと」とは「作者の宿命の主調低音」である。

 本書には作曲家をめぐる29編、演奏家を語る17編、信時潔をはじめとする日本の音楽家に思いを寄せる6編の随想が並ぶ。音楽雑誌「モーストリー・クラシック」に5年にわたり連載されたものだ。

 連載当時50代だった著書が発見したのはハイドンの魅力である。小林がモーツァルトと比較して《何かしら大切なものが欠けた人間を感ずる》と評したように、「晴朗だが悲しみが足りない」というところが一般的な評価だろう。だが、弦楽四重奏曲を聴いた著者は《楽しみて淫せず、哀しみて傷(やぶ)らず》、つまり感情の表出には適度の抑制が必要という孔子の芸術論を引き、モーツァルトの「疾走する悲しみ」が「哀しみて傷れた」ものであるのに対し、ハイドンの音楽は「哀しみて傷らない」ものだと記す。どちらが上というものではなく、ハイドンの音楽を《人間の倫理、社会の秩序への希望につながっている》と評価する。

 バイオリニストのシゲティへの傾倒も著者らしい。ヘンデルのソナタニ長調を聴いた著者は、「官能的な領域」が肥大し、「精神の領域」がほとんど消えかかっていく時代にあって、傷つきながら精神の領域を守ろうとする「手負いの武者」のようだと評し、彼のような《精神の貴族主義こそ復活されなくてはならない》と説く。全身全霊で「宿命の主調低音」を聞き取り、そこを基点に、思わず現代日本の精神のあり方に踏み込んでしまうところも、本書の魅力のひとつであろう。(港の人・1800円+税)

産経新聞
2016年1月17日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

産経新聞社

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