『美について』 ゼイディー・スミス著、堀江里美訳
[レビュアー] 三辺律子(翻訳家)
■21世紀によみがえる名作
ずっしりと厚い本を見て、これほどうれしくなることもそうそうない。「21世紀版『ハワーズ・エンド』誕生」「オレンジ賞受賞」の帯を見るまでもなく、『ホワイト・ティース』で鮮烈なデビューを果たしたゼイディー・スミス待望の長編となれば、至福の読書時間を約束してくれるにちがいないからだ。
20世紀初頭のイギリスを舞台にした『ハワーズ・エンド』は階級のちがう2家族の交流が主題だったが、約100年後、このフォスターによる名作を下敷きに描かれた『美について』は、アメリカに舞台を移し、リベラルな無神論者ベルシー家と、信仰あつい保守派のキップス家の対立を軸に物語が進んでいく。
ロンドンの労働者階級出身の白人男性であるハワード・ベルシーは、フロリダ出身の黒人女性キキと結婚し、3人の子供たちと共(とも)に勤め先の大学のあるボストン近郊の町で暮らしている。美術の講義でレンブラントの「芸術性」をこきおろし、伝統的美術観を否定する徹底した主知主義者のハワードに対し、レンブラントを讃(たた)える(ハワードいわく)ポピュリズム的ベストセラー本を著したモンティ・キップスは、カリブ系黒人で、伝統的家族観を重視し、同性愛嫌悪を隠そうとすらしない。そのモンティが、ハワードの推進する大学のアファーマティブ・アクション(弱者の機会均等を確保する措置)に反対したことから、2人の軋轢(あつれき)は決定的になる。
そこへモンティの奔放な長女とハワードのナイーブな長男の関係、本来なら敵同士のはずの妻たちの友情、ストリートの詩人から大学の音楽資料室係に「出世」した黒人青年、ハイチ救済運動にのめり込む次男などが絡み、人種、政治、貧富、男女、親子などの対立が浮き彫りになる。
『ハワーズ・エンド』の題句(エピグラフ)「ただ結びつけられれば」は、ここではどう響くだろう。(ベルシー家と同様に)イギリス人の父とジャマイカ移民の母の間に生まれた著者スミスのコミカルかつ皮肉に満ちた声を通すと、この有名な題句が新たな姿を得て現代によみがえるのだ。(河出書房新社・3700円+税)
評・三辺律子(翻訳家)