「涙の名作」の真実とは

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「涙の名作」の真実とは

[レビュアー] 山村杳樹(ライター)

 一九七五年にテレビ放映されたアニメシリーズ『フランダースの犬』は、一晩に三千万人が観たといわれるほどのヒットを記録。特にネロとパトラッシュが昇天する最終回は伝説にさえなった。この番組を提供したカルピスの社長が熱心なキリスト教信者で、キリスト教の価値観を若い世代に広める意図があったことはあまり知られていないが、『フランダースの犬』は多くの日本人にとって心に残る名作の地位を獲得している。しかし、舞台となったフランダースでは、ほとんど無視に近い扱いを受け、作品の記憶を胸にアントワープを訪れる日本人を失望させている。本書では、フランダース側の立場から、この受容の差はどこから来るのかを複数の研究者が論じている。第一章は、突然、失踪してしまったフランス人を父に持ち、一時は人気女流作家として富と名声を勝ち取るが、晩年、異国で窮死した原作者ウィーダの伝記にあてられている。次に、アメリカで実写映画化された五作品が、すべて結末をハッピーエンドに改作され「アメリカンドリームを体現」する作品になっていることを紹介する。第三章では、日本における作品が分析されるが、なんとテレビアニメ五十二話すべての梗概が収められ、「全体としては日本の神道と欧米のキリスト教という二つの世界観が独特に混じり合ったもの」と指摘される。では、現地における物語に対する無知/無関心はなぜなのか? アントワープは、ファッショナブルな現代都市として世界にアピールしている、貧しかった過去など思い出したくもない。なによりネロとパトラッシュは「悲惨な失敗者」に過ぎないではないか。大多数のフランダース人がこう考えるからだという。一方、日本人は「崇高な失敗(高貴なる敗北)が真摯な態度(誠)と合わさって、感動的な自己犠牲につながる」物語と捉えている。なぜこの物語にこれほど魅せられるのか、それは日本人にとっての問いでもある。

新潮社 新潮45
2016年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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