『世界収集家』 イリヤ・トロヤノフ著

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世界収集家

『世界収集家』

著者
イリヤ・トロヤノフ [著]/浅井 晶子 [訳]
出版社
早川書房
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784152095794
発売日
2015/11/20
価格
3,780円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『世界収集家』 イリヤ・トロヤノフ著

[レビュアー] 牧原出(政治学者・東京大教授)

捨てられた未来とは

 19世紀イギリスの軍人リチャード・フランシス・バートンは、『千夜一夜物語』『カーマ・スートラ』の翻訳者として知られているが、インドからアフリカ、さらにはアメリカを旅し、数多くの手記を残し、トリエステの領事として死を迎えた。本書は、英国領インド各地の駐在、アラビアではメッカ巡礼、東アフリカではナイル河の源流探検を題材とする小説である。主人公バートンの心理描写はごく一部で、現地民から見た異世界の人物描写が大部分を占める。

 この男は何ものなのか? なぜここにやってきたのか? 暑さに耐えながら何をしようとしているのか? 謎だらけではあるが、現地語の習得に力を尽くす男を、各地の語り手は現地風に呼ぶ。インドでは、従者ナウカラムの語りではバートン・サーヒブとなり、アラビアではその動静を尋問する総督に人はシェイク・アブドゥラと言い、東アフリカでは、探検に従うシディ・ムバラク・ボンベイは、ブワナ・バートンと呼ぶ。いずれも当地では異国民の名だが、何度も繰り返されるとあたかもバートンが現地に溶け込んでいくかのようだ。男が世界の断片を収集しているとすれば、世界の側も不可解な人物の断片を集めながら、理解しようと試みる。章を追うにつれて、男と世界のやりとりに引きこまれる。

 どの地でも男の背後に西洋の強大な支配力があることは意識されている。「捨てられた未来を集めたのだ」と老いたシディ・ムバラク・ボンベイは探検中に娶(めと)った妻に往時を回想する。その探検に続いて現れた植民地支配がうち捨てた何ものかを、彼らは求めていたのだろうか。

 著者は、ブルガリア移民の子としてドイツで育ち、10代後半を過ごしたケニアで「白人ゲットー」の矛盾を体感した。以後各地を渡り住み、ときに詩は英語で、専ら散文はドイツ語で書き、コスモポリタン作家としてヨーロッパでは著名である。著書の本邦初訳だが、他の代表作の翻訳も待ち遠しい。浅井晶子訳。

 ◇Ilija Trojanow=1965年生まれ。ブルガリア系ドイツ人作家。ベルリン文学賞など受賞歴多数。

 早川書房 3500円

 

読売新聞
2016年1月31日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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