『死んでいない者』
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故人が大往生した夜を記憶で紡ぐ芥川賞受賞作
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
今回の芥川賞受賞作。あえて全体を見通せない造りになっており、それが最後の絶妙な「抜け」と余韻につながっている。八十五歳で大往生を遂げた「服部」さんの通夜を、多くの近親者の目を通して描く同床異夢の群像劇であり、家族小説だ。故人には子どもが五人、孫が十人、ひ孫が三人いるのだが、大一族の構成を知るには六割余り読まないとならない。
「なんでもない」話の集積だ。しかしこの小説の凄さはそのなんでもなさの核心をとらえる洞察力と筆力にある。失踪者のことなどシリアスな話題もありつつ、日常的な会話が続いていく。故人を偲ぶようなしめやかな言葉も、しんみりと「いい話」も特にない。例えば、逝去を知らされた夜、その義息子と娘の女子高生が夕食にスパゲティを食べながらこんな会話を交わす。ぺぺ?/ペペロンチーノ。/ペペロンチーノね、聞いたことはあるけど。きのこが、たくさん。しめじと、これはエリンギ?/エリンギ。でも、普通は入ってない、きのこ。/え?/普通は、ペペロンチーノには、きのこ、入ってない。
「ぺぺ?」という父の間抜けな問いかけ、子供でも教え諭すような娘の回答の珍妙さ。こんな些細なやりとりは、きっとどこにも記録されず、注目もされず、過ぎていく。どうでもいいからこそ、唯一無二の一瞬なのではないか。
作者は何十人という人物の視点間を行き来し、誰とも知れない目を通して書く。記憶というものを、過去、現在、未来と色々な地点から眺める。そのうちに、本当に故人が言ったことなのか、故人の心情を想像しただけなのか、後付けの捏造記憶なのか、親戚たちの「集合記憶」なのか、わからなくなってしまう。記憶の中では自己と他者の境目も、生者と死者の境界さえも、きっと思ったより曖昧なのだ。本書のタイトルは、「死んでいない者(生者)」と「死んで居ない者(死者)」のダブルミーニングでもあり、両者は共存しうるという仄めかしなのかもしれない。