『坂の途中の家』 角田光代著

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坂の途中の家

『坂の途中の家』

著者
角田光代 [著]
出版社
朝日新聞出版
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784022513458
発売日
2016/01/07
価格
1,728円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『坂の途中の家』 角田光代著

[レビュアー] 松山巖(評論家・作家)

自己問われる思いに

 里沙子は三十三歳の専業主婦で二歳の女の子の母だが、彼女が裁判員制度で補充裁判員に選ばれる所から本長篇(へん)は始まる。公判は二〇一〇年の八月二日から日曜日を挟む十日間。被告は生後八ヵ月の女の子を湯船に沈めて殺した三十六歳の主婦で、かなり話題となった事件だ。

 里沙子は公判で様々な証言に触れ、当初から被告と歳(とし)も近く、自分も少し前に乳児を育てた苦労も経験し、しかも被告たちが暮らしていた「坂の途中の家」がいつか住みたいと願っていた建売の家にそっくりだったこともあり、被告の犯した殺人事件が他人事に思えなくなる。

 その上、公判中、里沙子は朝、東京の吉祥寺にあるマンションから娘を連れ、埼玉の浦和駅に行き、バスにも乗って夫の両親の家に娘を預け、公判後には娘を連れて帰り、夕飯の支度もしなければならなくなる。JRや地下鉄、バスなどを乗り継いで、途中で買い物をすれば往復に三時間近くもかかる。更に公判後の審議以外は、裁判員とも家族とも裁判についての会話が禁止されている。だから彼女は娘を連れた往復の間に、一人で事件を考え、被告の心理を推理し、自身の子どもの頃から結婚や子育てまでの間に抱いた気持ちと感情を思い出してゆく。

 実父が女の教育に無理解だったこと、夫からも義父母からも暗に子どもを産むようにいわれた気にもなり、結婚後は仕事を辞めたこと、夫も忙しく、出産後は子育てに慣れず、相談相手も身近になく、ウツになったことなどを思い出し、やがて被告の心情に同調し、自身が裁かれているかのような心境になってゆく。

 この辺りの作者の心理描写は息苦しいほどだが、本篇は同時に、内気な里沙子が自分の過去と向き合い、裁判員の審議で自己に正直な意見をきちんと述べるほど成長する物語でもある。

 だからこそ幼子のいる夫婦や結婚間近な女性ばかりか幅広い年齢層の読者が、読後、作者から自己を深く問われる思いになるに違いない。

 ◇かくた・みつよ=1967年、神奈川県生まれ。小説家。著書に『対岸の彼女』『八日目の蝉』『紙の月』『平凡』など。

 朝日新聞出版 1600円

読売新聞
2016年2月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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