落語ブームを裏で支える“導く人”たちの思い

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落語ブームを裏で支える“導く人”たちの思い

[レビュアー] 立川談四楼(落語家)

 平成の第二次落語ブームであるそうな。落語家の数も東西合わせて八百五十人を超え、鈴本(すずもと)や末廣(すえひろ)といった定席(じょうせき)はもちろん、ホール落語、地域寄席と花盛りである。その地域寄席も首都圏における公演数を月間九百と聞いたが、昨今では千を超えることもあり、ある月の土曜日には五十公演を数えたという。

 二つ目の元気がいい。才能が集中し、しかもイケメンである。当然女子が押しかけ、それまで支えた中高年に加わるから、客層が分厚くなった。客席後方からの眺めをこう評した人がいる。「これまでは肌色か白だったけど、近頃は黒々としているよ」と。髪の毛のことを言ったのだ。若い客が増えたことの証左である。

 いきなりの人気ではない。種をまき、耕したものが、ようやく実りの秋を迎えたのだ。だからこそ種をまいたベテラン勢が若手の刺激を受け、張り切っているのだ。

 落語家が演じたいと思っても、やる場所がないと話にならない。落語家は案外自分が分かっていないので、ネタのリクエストを始めとする、導いてくれる人も必要だ。本書には高座を支えるそういう人達が登場する。

 昭和にはこういう人達はひと握りしかいなかった。落語家は何もかも一人で抱え、苦しんでいた。ひと握りの人達以外、儲からないことに手を出さなかったのだ。でもどこかで見ててくれたのだろう。手を携える人がここまで増えたのだ。

 小屋主、支配人、プロデューサー等十人へのインタビューだが、それを橘蓮二氏撮影の高座写真が彩る。蓮二氏とさだまさしの対談もある。落語家が読めば、各氏からお呼びがかかるのを切望するだろう。すでに客である人は、なるほどと更に信頼を深めるだろう。そしてこれから聴こうという人は安心感を覚え、踏み出す道しるべとなろう。

 浮かれてはいられない。落語が映画や演劇、音楽と肩を並べるには、ここで褌を締め直す必要がある。

新潮社 週刊新潮
2016年3月10日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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