『キリスト教と戦争』 石川明人著

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『キリスト教と戦争』 石川明人著

[レビュアー] 村田晃嗣(国際政治学者・同志社大教授)

平和を唱えて戦う論理

 キリスト教は隣人愛や平和を説いているのに、キリスト教国はなぜこれほど戦争と殺(さつ)戮(りく)を繰り返してきたのか。この問いはよく耳にするが、適切な答えはほとんど耳にしない。そうなると、歴史と聖書をしっかりと紐(ひも)解くしかない。本書はそういう素朴で誠実な試みである。

 まず、カトリックである。その長い歴史の中で、カトリックは正戦論を展開し、正当防衛を容認、軍人や従軍チャプレン(聖職者)の役割も評価してきた。それに対し、日本のカトリック教会はこれらに全く言及せず、軍事や戦争を一切否定する「素朴な姿勢で貫かれている」と、著者は指摘する。そもそも、カトリック教会の司教制度はローマ帝国の属州制度を応用したものだったという。精神を重視する教会と軍隊という組織には類似性が多いのである。日本に福音を伝えた者の多くも軍人や元軍人であった。

 プロテスタントもしばしば武器をとって戦ったし、マルチン・ルターは絶対平和主義者でも非暴力主義者でもない。20世紀プロテスタント神学を代表するラインホルド・ニーバーもカール・バルトも必ずしも戦争を否定していない。

 聖書はどうか。旧約聖書で「平和」を意味するヘブライ語の「シャローム」は、戦いに勝つことでえられる「平和」も含意しているという。新約聖書には戦争に関する具体的な記述はなく、人々は恣意(しい)的に聖書の記述を選択し、個人の主張を正当化する。聖書は「それぞれの人生と重ね合わせて読まれる書物」なのである。

 キリスト教がきわめて「平和主義的」であったなら、すでに絶滅しているか弱小セクトにとどまっていただろうと、著者は説く。キリスト教が真理である故に世界に広まったと考えるのは「傲慢」ですらある。しかも、およそ宗教は平和をめざすがために、混乱や不調和を封じ込める能力を強調せざるをえず、戦争や暴力は常に宗教的想像力の一部をなす。久しぶりに聖書を開いて思いを巡らす、よい機会をえた。

 ◇いしかわ・あきと=1974年、東京生まれ。桃山学院大准教授。著書に『戦場の宗教、軍人の信仰』など。

 中公新書 820円

読売新聞
2016年2月28日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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