『チェーホフ 七分の絶望と三分の希望』 沼野充義著

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チェーホフ 七分の絶望と三分の希望

『チェーホフ 七分の絶望と三分の希望』

著者
沼野 充義 [著]
出版社
講談社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784062196857
発売日
2016/01/26
価格
2,700円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『チェーホフ 七分の絶望と三分の希望』 沼野充義著

[レビュアー] 松山巖(評論家・作家)

悲劇と喜劇が反転

 チェーホフが自作「桜の園」を喜劇と規定したのにスタニスラフスキーは悲劇として演出した。この逸話は今もよく語られるが、本書で著者は当事者には悲劇でも、外観者には喜劇に見える状況はしばしば起き、悲劇か喜劇かは状況の内か外かにいる違いで変わると指摘する。

 この事態は確かに現代でもよく起きる。

 チェーホフはトルストイとドストエフスキーというロシアの二大作家のすぐ後の世代だけに、二人に比して小粒に思われがちだが、彼の小説と戯曲は今も世界中で愛されている。その理由を著者は作品と時代状況から解読する。

 例えば一八八六年発表の短篇(たんぺん)「ワーニカ」は何故(なぜ)可笑(おか)しいか。主人公ワーニカは田舎から靴屋に見習い奉公に出た九歳の少年だが、主人によくぶたれ、ろくな食事も与えられない。両親の死んだ彼は祖父に窮状を訴える手紙を書く。だが当時、ロシアの村人の識字率は低い。ワーニカの文章はその実情を反映し、めちゃくちゃ。だから可笑しい。しかも住所を書いてないから届かないはずで、祖父は文盲で読めない可能性もある。つまりチェーホフの笑いは残酷で、読み方で喜劇と悲劇は反転してしまうのだ。

 しかし手紙を書き終えたワーニカは疲れ、一刻眠り、幸福な夢を見る。そこにチェーホフは僅(わず)かな救いをワーニカに与える。つまり彼の作品は絶望のなかに僅かな希望を輝かせる。しかもワーニカにはチェーホフ自身の辛(つら)い少年時の記憶も重ねられている事実も明らかにする。

 このように著者はチェーホフが見つめた十九世紀末から革命直前のロシアの世相や政治状況を横糸に、彼自身の生涯を縦糸にして、彼が込めた絶望と希望を検証してゆく。だから光の当て方で悲劇と喜劇が反転し、絶望のなかに希望が輝く彼の作品は時代や国を超えた普遍性をもつことがよくわかる。著者はそう解読し、全篇で読者に向け、辛い現代も僅かな希望でも捨てずに生きようという願いを発している。

 ◇ぬまの・みつよし=1954年、東京生まれ。東京大教授。専門はロシア・ポーランド文学。

 講談社 2500円

読売新聞
2016年3月20日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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