絶好調作家の絶妙の比喩に唸り、うなずく短篇集
[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)
ひとと話したり何かを見ている最中に感じたことを、うまく言い表せなくてモヤモヤしたなんてことが、よくある。朝倉かすみは、そんな時の“感じ”を絶妙に言い表してくれる作家なのだ。たとえば、最新短篇集『たそがれどきに見つけたもの』に入っている「末成(うらな)り」。
主人公は、二十代から五十代で構成されるパート仲間から、男性経験の豊富さゆえに「ゼンコ姐さん」と一目置かれている四十二歳の内田善子。〈小中高と一度も目立ったこともなければモテたこともない女の子〉の〈代わり映えのしない「その後」を見るような〉職場にあって、ゼンコ姐さんは〈学生時代だったら、近づけないタイプ〉で、そんな〈遠くからボンヤリ見るしかないスター的存在の女の子が、自分たちと同じキカイ室のパートタイマーというのが〉彼女たちにとっては自慢なのだ、という設定から、この短い物語は滑りだす。
でも、実は――。善子の真実の姿が明かされていく展開が哀しいのだけれど、ある恋愛によってボロボロになった善子を表現する作者の文章が、こう。〈どこがどうとは言えないが、いったんずぶ濡れになったものが、乾いてしまって縮まるような、そんな「感じ」があった〉。思わず唸る、絶妙な比喩なのである。
その他五作品の主人公もみんなたそがれ世代だ。高校生の時に一度ふった男性と結婚した五十歳の〈わたし〉。トイレで胸に違和感を覚え、〈お尻、出したまま死ぬのはいやだなあ〉と思う五十四歳の作家、きむ子。コンビニのバイト青年との恋愛妄想を楽しむ五十三歳の智子。人気フリーアナウンサーを囲んでの泊まりがけのファンミーティングに参加した五十二歳の真苗。妻との来し方を思い返す五十六歳の利一郎。彼らの言動を通して、人生の秋を生きる男女の“感じ”をほろ苦いタッチで描くこの一冊は、まさに本誌読者にうってつけ。うんうん、うなずきながら読んで下さい。