『その姿の消し方』 堀江敏幸著

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その姿の消し方

『その姿の消し方』

著者
堀江 敏幸 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784104471058
発売日
2016/01/29
価格
1,620円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『その姿の消し方』 堀江敏幸著

[レビュアー] 松山巖(評論家・作家)

人生の内省迫る言葉

 言葉は単に対象の意味を指示するだけのものではない。例えば詩歌は読む者の記憶を喚起し、心に反射し、強く揺さぶる。つまり感動するのだ。本長篇(へん)も言葉に喚起され、その度に反射する〈私〉の記憶と心の軌跡を追っている。

 フランス留学中、〈私〉は古物市で「変形のサイロか納屋のようにも見える奇妙な外観」の建物写真に惹(ひ)かれて買った、古い絵はがきの裏にきっちり十行で書かれた詩が気にかかる。差出人はアンドレ・L。宛先はナタリー・ドゥパルドンという女。〈私〉はアンドレ・Lが何者か調べ出す。文学辞典に名はないのだが……。

 すると二年ほどの間に同様の絵はがき二枚も手に入れる。消印はどれも1938年。さらに十年余り後、再びフランスに行った〈私〉は、絵はがきの写真に記されたM市の役所に電話をし、男の姓のLはルーシェで、彼は1943年に病死した会計検査官だとわかる。しかも孫娘もわかり、〈私〉は彼女に手紙を出し、実際にM市も訪れ、彼女やルーシェの息子の友だった老人とも知り合って語り合う仲になる。

 その後も〈私〉はルーシェが使い、同様の詩を書いていた小冊子も手に入れる。そして様々な出会いをして記憶に残る言葉、知識にある言葉、絵はがきや小冊子にある詩のような言葉に「読むほど喚起されるイメージの乱反射にとまどい」ながら、〈私〉はルーシェは第二次世界大戦中にモグラ、つまりスパイとして抗独パルチザンに参加し、詩は第一次大戦後の自らの心と運命を書いたのではないかと推理する。

 しかし他のこと、宛先の住所の都市は存在せず、ナタリーはわからぬままで、本篇は終わってしまう。ところが、その謎がむしろ詩を書いて没した男の姿をより強く印象付けるのだ。

 つまり著者は本篇で、文学とは読者の人生に解答を与えるよりも、〈私〉のように言葉で記憶を喚起させ、心を強く揺さぶり、読者自身に人生を深く考えさせるものだと示したのだ。

 ◇ほりえ・としゆき=1964年、岐阜県生まれ。作家、仏文学者。著書に『正弦曲線』『余りの風』など。

 新潮社 1500円

読売新聞
2016年3月27日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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