『スプートニクの恋人』
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失われた自己を求めて
[レビュアー] 東京大学新聞社編集部員
近代とは、それまでの封建社会を脱し、自分を一つの個体として確立しようとする思想が生まれた時代だ。では、その上に立つ我々は、自分という存在の全てを把握しているといえるのだろうか。把握していない部分が仮にあったとして、それは存在しないことになるのだろうか?
「ぼく」は友人の「すみれ」に片思いしている。男に性的関心を持てないすみれは、22歳のとき初めて恋に落ちる。相手は「ミュウ」、四十路手前の女性だ。すみれはミュウと共にヨーロッパを巡り、途中で姿を消してしまう。
ミュウの呼び出しに応じて現地に赴いた「ぼく」は、ミュウの過去を知ることになる。14年前に起こった奇妙な出来事を契機に、ミュウは性欲も生理も排卵も、髪の毛の色さえも失っていた。あのとき自分が半分に分割され、片方が「あちら側」の世界に去ってしまったのだ――。ミュウはそう解釈している。
すみれはミュウの半分がいるはずの「あちら側」に行ってしまったのだろうか。「こちら側」に残された性欲のないミュウとは決して一つになれないから。「ぼく」はすみれとの再会を諦める。だが、ある日すみれは唐突に戻ってくる。「ぼく」にとって、おそらく完全なすみれが。
すみれに恋する「ぼく」の思いは叶わない。ミュウを愛するすみれの欲望は満たされない。ミュウはすみれを好いているが、体を許すことはできない。「実存主義演劇の筋」のように入り組んでいる愛と性欲の不一致。すみれの消失は、理想を追い求める人間の本能を表しているのだろうか。すみれの帰還は、目的を遂げて夢を見終わったことを示しているのだろうか。
すみれはミュウの残り半分と会い、潜在的に欠けていた自分の一部を補えたのかもしれない。「こちら側」では得られない何かを「あちら側」で手にしたとき、人は初めて自分を確立できる。記者はそんな想像をした。
村上春樹 1949年生まれ。早稲田大学卒。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で谷崎潤一郎賞受賞。他の著書に『ノルウェイの森』、『海辺のカフカ』など。