『捏造の科学者 STAP細胞事件』
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研究世界の危うさ暴く
[レビュアー] 東京大学新聞社編集部員
弱い酸性の溶液に浸すだけで一度分化した細胞が、他のあらゆる細胞に分化する万能性を獲得する。世紀の大発見として世間をにぎわし、後に研究不正の疑惑から科学界を揺るがす大騒動に発展した「STAP細胞」を読者は覚えているだろうか。いくつかの疑惑は晴らされないまま、騒動は風化しつつある。
『捏造の科学者』(文藝春秋)は、取材に当たった毎日新聞科学環境部の須田桃子記者が、事件の一部始終を各当事者の立場や主張を明確にしながら記述したルポルタージュだ。人間と自然の真実を追究すべき科学が科学者の手によってゆがめられた。この事件をひも解くことで科学と現代社会のひずみが垣間見える。
STAP細胞は不正発覚後の検証実験により存在する根拠が得られることはなかった。存在しないものを捏造し、世紀の大発見がでっち上げられたと考えると、科学自体を信用できなくなる。近代以降爆発的な進歩を遂げた科学は、ある分野の最前線を理解するには何年もかかるほど高度に専門化されている。科学の最先端では専門家ですらまだ誰も知らない事実を発表するのであり、STAP細胞が発表されてすぐには誰も真偽を判断できなかった。
「発見者」の小保方晴子氏が改ざんや捏造を行い、論文を作成したのは確かだが、理化学研究所というプロの研究者集団の中で、かつ著名な研究者のサポートの中で、その偽りが露見することなく発表まで至ったのは興味深い。ここに真理を追究すべき科学者の持つ、別の姿があらわになる。
研究機関は組織であり、国などから研究資金を得ることで活動する。本書によれば、事件は研究資金の獲得につながるインパクトの強い研究に組織が期待し、不正が誘発された側面があるという。STAP細胞事件の詳細から見えたのは、最先端の研究の世界の危うさ、倫理のもろさ、研究者の置かれた現状だった。
須田桃子 1975年生まれ。早稲田大学大学院修士課程修了。01年毎日新聞入社。生殖補助医療・再生医療やノーベル賞を担当。『捏造の科学者』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。