「物語」を知ることは現代を生き抜くために必要だ

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偶然を生きる

『偶然を生きる』

著者
冲方 丁 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784041029725
発売日
2016/03/08
価格
864円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

「物語」を知ることは現代を生き抜くために必要だ

[レビュアー] タカザワケンジ(写真評論、文芸書評家)

 あのときの出来事が人生の転機だった――そんなふうに、偶然起きたことを後から必然として受け入れるという経験は誰にでもあるはずだ。しかし、その行為を「物語」としてとらえたら何が見えてくるだろうか。

 本書は『天地明察』『光圀伝』『マルドゥック・スクランブル』シリーズなど、小説から、漫画原作、アニメやゲームのシナリオまで、多岐にわたって活躍する冲方丁による物語論である。

 私は小説家へのインタビューや、書評を仕事にしている。冲方にも何度か取材で会っているし、その作品にも注目してきた。インタビューでもつねに明快な言葉で作品の舞台裏を語る彼が、実践的な物語論を展開するのではないか、と予想していた。

 しかし、その期待はいい意味で裏切られた。本書には、小説家が書いた物語論にとどまらない広がりと深さがあったのである。『偶然を生きる』というタイトルが象徴するように、本書は物語を切り口に、人間の営みの本質に迫ることを目的としている。「はじめに」で冲方はこう述べている。

「物語とは、人間が自分たちの人生を理解しようとする試みだといえます」

 つまり、冲方はプロフェッショナルが提供する創作物にとどまらず、広く物語的なものを考察しようとしているのだ。そして、物語とは何か?を考えるうえで重要なキーワードとして挙げているのが「偶然と必然」だ。

 冲方によれば、人間は偶然の出来事にリアリティを感じるという。その偶然を必然だと感じさせることが「物語づくりの根本になっている」のだと。たしかに「事実は小説よりも奇なり」という言葉があるように、人生は小説よりも偶然に満ちている。しかし、その偶然を必然にするとはどういうことなのか。

 そこで、本書を読むうえで、もう一つの重要なキーワードとして「経験」が登場する。冲方は経験を「一、直接的な経験(個人の経験)」「二、間接的な経験(伝聞による経験)」「三、神話的な経験(大昔からの言い伝え)」「四、人工的な経験(創作)」の四つに分類し、四つの概念を駆使することで、人間社会の過去から現在、未来までを俯瞰している。

 人間は古来、自分の経験だけを頼りにしていては得る情報が少なすぎて生き抜けない。そこで他者と間接的な経験を共有することで情報量を増やし、安全を確保してきた。現代人はほとんどこの一と二の経験だけで生活できる環境に生きているが、近代以前の社会では三の神話的な経験が権威を持ち、価値観の共有に役立っていた。そして四の人工的経験には、娯楽や芸術としての物語だけでなく、政治的なプロパガンダや、企業の広告宣伝も含まれる。そう考えると、私たちは人工的に作られた擬似的な経験を日々積み重ねて生きていることがわかる。

 いま挙げた四つの経験に、物語が影のように寄り添っていることにお気づきだろうか。経験を他人に伝えようとすれば、偶然に因果を見いだし、誰にとっても腑に落ちる「物語」にせざるを得ない。なぜなら、そうしないと受け手が納得してくれないからだ。すなわち、個人の経験を誰かに話すときには物語として発信している。神話や小説、広告宣伝を受け取るときにも、実は物語を受信しているという本書の指摘は「物語」への認識を変えるはずだ。

 本書はこの後、いよいよ偶然と必然が物語とどう関わっていくか、という核心に近づいていく。冲方の筆致は極めて論理的であり、たたみかけるような展開に引き込まれた。実はこの論理構成自体が冲方の「創作」による物語なのではないか、と思うほどだ。冲方は物語作家としての力量を示しつつ、そこで物語の本質を読者に気づかせようとしている、と私は感じた。

 物語は人間の情報や認識に深い影響を与えるが、多くの人はそのことに無自覚だ。しかし、情報量が増えた現代を生きる私たちにとって、物語を知ることは羅針盤を持つことに等しい。本書は、サバイバルのツールとして役立つ知恵の詰まった「実用書」である。

◇角川新書◇

KADOKAWA 本の旅人
2016年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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