よくある女主人公かと思いきや・・・美貌の芸妓「凜」の魅力
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
矢野隆が女を主人公に小説を書いた――となると、これを読まない手はないだろう。
ヒロインの名は凜。美貌の芸妓で自分の芸にこだわりを持っている、というだけなら普通の芸道ものの主人公だが、実は大盗賊の忘れ形見で、仕込み三味線ばかりでなく、斬馬刀(ざんばとう)の使い手だというのだから嬉しくなってしまう。かつて父親の右腕だった藤兵衛が大家をしているドブ板長屋に住んでおり、彼のことを爺さまといって慕っている。
美しいが女剣士のようなヒロイン。私ははじめ、面白いが、これはちょっと紋切型ではないか、と思いながらページを繰っていったのだが、どうしてどうして――。
これは嬉しい誤算であった。
作者は敢えて、凜の外見と剣の冴え、そして座敷での芸のこだわりと、彼女に関しては最小限のことしか書いていない。が、物語を読み進んでいくうちに、それは書けないのではなく、敢えて書かないのだということが分かってくる。
彼女の内面は、前述の藤兵衛、ひょんなことから凜とわりない仲となってしまった、どうしようもない野良犬侍の十三郎、さらには、上客になりすまして馴染みとなってから襲うという卑劣なやり口を行った本間進之助と、三者三様の男たちの過去と胸のうちから忖度されるように書かれているのだ。
この逆説的手法が充分活かされているため、凜という女の内面が重層的に浮かび上ってくるのだ。
ここまで来ると、読者は凜の魅力に抗い難く、ラスト近くの、敵に虜にされた藤兵衛を取り戻しに行くところなどたまりませんな。
「きじのめんどりすすきのもとで……」
と凜が三味線を弾きながら敵地に乗り込んで行くくだりなど、どう書けば主人公が格好良く見えるか、作者は、充分心得ているといわねばなるまい。
これぞ痛快時代小説の決定打だ。