四方田犬彦・インタビュー 夢見るブルジョワ娘ができるまで『母の母、その彼方に』刊行記念

インタビュー

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母の母、その彼方に

『母の母、その彼方に』

著者
四方田 犬彦 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103671084
発売日
2016/02/26
価格
2,052円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『母の母、その彼方に』刊行記念インタビュー 四方田犬彦/夢見るブルジョワ娘ができるまで

――本書は四方田さんの祖父・保の最初の妻・柳子、二度目の妻・美恵、美恵の娘・昌子という三人の女性が登場します。執筆のきっかけはなんだったのですか?

 ある女性史研究家から、四方田柳子という人物に心当たりがないかと尋ねられたのです。全く見覚えのない名前でしたが、念のため母に確かめたところ、祖父の最初の妻でした。それから、彼女のことを調べていくうちにさまざまなことがわかってきたのです。

――柳子以外の人物にも焦点をあてたのはなぜですか。

 高校時代にトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』に感動して、いつかは家の年代記を書いてみたかったのです。安岡章太郎の『流離譚』や北杜夫の『楡家の人びと』も家が主人公です。そこで私も柳子をきっかけに家の物語に挑んでみたのです。もちろんそれらの名作にははるかに及びませんが。

――四方田保はどのような人物ですか。

 彼は松江の貧しい下級士族の家に生まれ、京都帝大独法科の第一回生です。大阪で弁護士を開業、シーメンス事件を担当して脚光を浴び、人権派弁護士として活躍しました。箕面に広大な屋敷を構え、小林一三と深い交友がありました。一代で財産と社会的地位を築いた立志伝的な明治人の典型です。

――カバーに使用されている松井正の「夏の日」という絵は昭和初めの四方田邸の庭を描いたものですね。それでは三人の女性について教えてください。

 柳子は創設まもない日本女子大学で学び、卒業して保と結婚しました。関西の名士婦人会で活躍する一方で、信仰を通じて婦人問題にも取り組みます。新型婦人コートのデザインの発表、女子大時代に学んだ理想主義的な教育の実践などさまざまな分野で活躍しました。

 柳子が亡くなったとき、保は48歳でした。広大な屋敷を管理するのは多忙な保には無理で、後妻として迎えたのが美恵です。彼女は屋敷の管理や女中たちの教育に情熱を傾けました。

 美恵の娘である昌子はまさに夢見るブルジョワ娘で、アプレゲールを満喫しました。日本舞踊と西洋音楽を同時に学んだ彼女にとって使用人というのは当たり前の存在でした。

――保は全くタイプの異なる二人の女性と結婚したわけですね。

 柳子は家庭外での活動に積極的だったので、当時の新聞や雑誌を通じて、その事績をかなりたどることができます。それに対し、家のことに専念した美恵についてはよくわかりません。逆に調べれば調べるほど謎めいた存在になってきました。若いときにマンドリンを習っていますが、当時としてはかなり贅沢なことです。保と結婚してからではなく、美恵はもともと裕福な暮らしをしていたはずです。

――あらためて書き終えての感想をお願いします。

 近代日本の脆弱さをあらためて痛感させられました。結局、日本ではブルジョワジーというものは定着しなかったのです。華族というのは公家、大名、維新の元勲、高額納税者などの寄せ集めでしたしね。保も学歴により一代でブルジョワジーとなり、長男を男爵家ゆかりの娘と、三男は江戸時代から続く造り酒屋の娘と結婚させましたが、三代目の私になると、まったくのプロレタリアートにすぎませんから。

 でも本を執筆すると、心のなかにあるわだかまりが解きほぐされていくように感じます。高校時代を描いた『ハイスクール1968』や由良君美を描いた『先生とわたし』でもそうでした。今回この作品を書くことによって、四方田の家から自由になれたという気がしています。

新潮社 波
2016年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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