献上品の注文から遊女の手配まで

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献上品の注文から遊女の手配まで

[レビュアー] 山村杳樹(ライター)

 寛永十八年(一六四一)、徳川幕府は平戸のオランダ商館を長崎の出島に移転させ、鎖国体制を完成した。キリスト教禁圧と密貿易防止のため、商館長(カピタン)の一年交替を厳命し、オランダ人の日本語習得を禁じた。このため日本側での通訳養成が急務となった。本書は、彼ら「阿蘭陀通詞」たちの語学学習法、職務内容、構成人員などを豊富な資料の渉猟により明らかにする。貿易・外交の衝に当たっていた彼らは、日用語のみならず特殊単語をも習得しなければならなかった。彼らは長年にわたりオランダ人や先輩から聞き伝えた単語を集積、類別して単語集を整備。中には文法の大系的整備に乗り出す者まで現れた。二人の目付の下に大通詞四人、小通詞四人が配せられ、その下に十数人の「稽古通詞」が控えていた。通詞の最も重要な職務はカピタン江戸参府の随行。献上品の手配、運搬から、宿舎の設定、カピタンの観光案内、舶来品の注文の集約など、「江戸番通詞」の仕事は多岐にわたっていた。通詞には語学はもとより、経理、商品管理などの実務にも通暁している必要があったのだ。興味深いのは、通詞たちと出島のオランダ人たちの私的交流。病気なので葡萄酒をお願いしたいと頼む通詞がいる一方、オランダ人は遊女の手配を依頼している。本書の最終章は通詞たちの人名録に割かれているが、通訳の傍ら医学・医術を学び『解体新書』に序文を寄せた吉雄幸左衛門、英語をマスターし、米国使節ペリーとの条約交渉の通訳を務めた森山栄之助、幕府使節として渡欧を繰り返し、新聞の主筆や小説などにも手を染めた「明治の異才」福地源一郎(桜痴)……など魅力的な人物が並んでいる。著者は長年、阿蘭陀通詞の研究に取り組んできたが、それは、通詞の研究が、日本近世史の真の理解に不可欠であるという信念からだという。確かに彼らのもたらした海外の知見が、この国にいかに甚大な影響を与えたかは計り知れない。

新潮社 新潮45
2016年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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