極寒の地の豊かな食文化

レビュー

6
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シベリア先住民の食卓

『シベリア先住民の食卓』

著者
永山 ゆかり [編集]/長崎 郁 [編集]
出版社
東海大学出版部
ジャンル
社会科学/民族・風習
ISBN
9784486020899
発売日
2016/03/18
価格
4,104円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

極寒の地の豊かな食文化

[レビュアー] 稲垣真澄(評論家)

 スコップを押し立て、深々とした苔の層に切れ目を入れる。適当な大きさの円が描けたところで、切れ目からスコップを斜めに差し込み、力をこめる。マンホールの蓋のように表面が剥がれる。さらに地面を掘り進むと、一メートルくらいでツンドラらしく固い氷層が現れる。

 穴の形を整え、刈り取ったばかりの草を敷き、サケの頭やイクラなどをどんどん重ねる。動物に掘り返されないようていねいに穴をふさいで、一、二週間待つ。発酵サケの完成だ。完成品は水で洗って生のまま食べる。「舌にぴりりとした刺激があり、なかなかの珍味」「イクラは塩漬けよりも断然おいしい」とは、カムチャッカ北部地域で、先住民アリュートルたちの発酵サケ作りを体験した永山ゆかり氏の感想だ。

 本書は「魚」「肉」「植物」「乳製品・小麦粉ほか」の四部構成三十五章だてで、シベリア先住民と呼ばれる人たちの暮らしぶりが、主として食べものの面から紹介される。紹介するのは旅行家でも民族学者でもなく、シベリア先住民の言語や口承文芸を専門とする八人の日本人研究者。それぞれがフィールドワーク(言語採集など)に訪れた先々で体験した食べものの印象を、驚きやら戸惑いのままにエッセー風に綴る。民族学者や文化人類学者と異なり「異文化について何か(気のきいたことを)語らなければならない」という気負いがなく、初めてのもの、珍しい習慣に接したときの驚きが素直に伝わってきて、好感が持てる。

 シベリア先住民とは、ロシアが東進する以前からシベリア地域に住む諸民族を指し、モンゴロイドが多い。現在数十万人から五千人に満たないものまで約四十五民族を数えるそうだ。サハリン、沿海州、ハバロフスクなど日本にごく近い地域から、モンゴル北西方、北極域、ウラル東側までの広大な地域に居住する。

「フード(食)は風土」という言葉があるそうだが、商品として買うしかない小麦粉を除いて、魚、肉、植物、乳製品はいずれも、居住地の風土からの贈り物。魚はなんといっても極東方面のサケの利用が圧倒的だ。肉はトナカイ、アザラシ、ヘラジカ、馬、羊、熊、さらにはライチョウ、ハクチョウなど、じつに多岐に及ぶ。植物は穀物や果物のとれないツンドラではベリー類の採集が中心になるにしても、酩酊のためにベニテングタケを食べるなど、いかにもシャーマニズムの故地シベリアらしい。乳製品はチーズ、クリームから馬乳酒まで。

 人間の食文化とは、突き詰めれば入手した食料をできるだけ長く食いつなぐための保存の工夫にきわまる。それが決まれば味付けなども自ずと定まる。ツンドラの民の豊かな冷凍保存法は、乾燥、発酵、塩漬け、燻製……に親しんだ日本人には珍しく、興味は尽きない。

新潮社 新潮45
2016年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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