「この人をお師匠と呼ぼう」と決めた瞬間

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「この人をお師匠と呼ぼう」と決めた瞬間

[レビュアー] 高野登(元リッツ・カールトン日本支社長)

 目の前の景色が一気に変わって見えること、自分の価値観が大きく変わることを、「パラダイムシフト」と呼ぶ。

 例えば障がい者に対する目線。障がいのある人はかわいそうな存在であり、健常者は障がい者を守らなくてはならない。多くのひとがそう考えているように思える。じつは恥ずかしながら私もかつてはそんな目線をもっていたひとりだ。そう、ある青年のこんな言葉に出会うまでは。

「世の中に障がい者なんていないんです。大多数の方に合わせて作られた仕組みや施設が、我々にとっては障害になっている。ただそれだけのことです」

 なんという鮮烈な視点だろうか。まさに障がいに対する景色が一気に変わって見え始めた瞬間だった。

 青年の名は垣内俊哉さん。ミライロという会社の社長であり、この本の著者だ。それを機に、彼の講演を幾度となく聴講させて頂いた。彼の生い立ちを聞くだけでも、壮絶な人生がみえてくる。生まれつき骨の難病があるため、何度も手術が繰り返される。果たして自分であったら、20代の人生の半分近くを病院で過ごす、そんな生き方に耐えることが出来ただろうか。しかし、垣内さんの表情は誰よりも明るく、語る言葉にも話の内容にも微塵も暗さがない。

「一度手術後に目が覚めず、心肺停止に陥ったことがありました。3日間の昏睡状態のあと、奇跡的に目を覚ましたのです。どうして生き返ってきたのか分かりますか。三途の川がバリアフリーじゃなかったので渡れなかったんです(笑)」

 この時点で私は決心した。「この人をお師匠と呼ぼう」。それ以来、今でも私にとって一番若いお師匠として、さまざまな刺激を頂いている。

 私の好きな言葉に「人生はおひとり様一回限り」というのがある。垣内さんも同様のことを言っている。そしてその表現もまたじつに独特だ。

「人生の長さは自分では決めることが出来ないようです。どうも神様が決めているらしい。でも人生の幅は自分でいくらでも決めることが出来る。90年を幅1キロで生きたら、そのひとの人生面積は90×1キロ。たとえ50年の人生でも幅10キロで生きたら人生面積は50×10キロ。面積(内容)では負けていませんね」

 そう語る垣内さんがいま人生をかけて取り組んでいるのが、「ユニバーサルデザイン」と「ユニバーサルマナー」の普及。そして本書のテーマである「バリアバリュー」という考え方。バリア(障害)に対する認識を根底から覆す発想だ。「バリア(障害)はハンディになるもの」とは考えず、「バリュー(価値)を生み出すもの」として捉える。

 そして、仕事でもプライベートでも、誰もが対等に向き合い、一緒に活動できる世界を実現するためには、相互理解と相互支援が不可欠だ。とはいえ、道路や建物などのハードウェアをすべてユニバーサルデザインにすることには限界がある。垣内さんは「ハードの限界はハート(心)で補うことが出来るんです」と語る。これこそ日本が誇る究極の「おもてなしの心」に通じる発想ではないだろうか。

 いま世界レベルでバリアへの認識が広がりをみせている。身体障がい、知的障がい、精神障がいに加えて、LGBTなども身近なものとなりつつある。すでに海外では同性同士の結婚は珍しくなく、その波は日本にもやってきている。まさにバリアがバリューに代わるステージが整いつつあるといえる。

 だからこそ、誰もが自分の価値観や感性をさらに深く豊かに育んでいくことが求められる。そのためにはまず「バリア(障害)について知ること」が不可欠であろう。相手の立場で考えるということは、まず相手を理解することから始めなくてはならないからだ。自分にとって当たり前のことは、必ずしも相手にとっても当たり前とは限らないという気づきを得ること。

 垣内さんの著書は、当事者の目線でさまざまなことが語られている。すべての人にとって必要な、バリアに関する知識の宝庫、智恵の泉となる一冊と言ってもいいと思う。

新潮社 波
2016年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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