写真がくれたもの

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写真がくれたもの

[レビュアー] ジョンソン祥子(写真家・ブロガー)

 日本での生活に、なんとなく生きにくさを感じていました。働いていた当時流行っていた「負け犬」という言葉や、「モテ服」のように他人の目を意識したモノ選び。「幸せ」や「好き」の基準は、自分の中にあるべきではないの……? 漠然とした不安から、とにかく自分を変える突破口が欲しくて、28歳のときに渡米を決めました。

 渡米後、しばらくして出会ったのが写真です。

「こんなに犬が好きだったんだ」

「こんなに自然が好きだったんだ」

 愛犬マルと、後に生まれた息子の一茶の写真を毎日撮ることで、自分でも知らなかった自分に出会え、本当に大切にしているものが見えるようになりました。

 よく驚かれるのですが、私はカメラに強いこだわりがあるわけではありません。自然の移り変わりや、変化し続けるマルと一茶の今しかない瞬間をとどめておくのに、自分にとって写真が一番適しているのだと思います。好きなのは、その貴重な瞬間を切り取れること。毎年紅葉はするけれど、来年に一番葉が色づいたとき、もしかしたらここにはいないかもしれない。心や時間に余裕がないかもしれない。「今」のマルと一茶を、「今」の紅葉とともに撮れるって奇跡なんだと思っています。

 ミシガンで写真を通して大切なものや好きなものを見つめるうちに、自然と暮らしもどんどんシンプルになっていきました。インテリアやファッションなどもそうです。価格や流行りではなく、自分や家族が心地よいかどうか、が判断基準になりました。

 インテリアでいえば、家族が一番長く一緒に過ごせるダイニングスペースには、多少高価でも長く心地よく使える家具を置く。他人の目には触れやすいけれども普段は使わない客間では、スーパーで調達したカーテンや、DIYで作った家具を使う……。誰かと比べるのではなく、自分を大事にすること。日常こそが特別だということ。それを教えてくれたのも写真でした。

 私自身はミシガンに来て、はじめて気づきましたが、大切にしたいものは私の中に元々あったものでした。もっと自分を見つめていたら、日本にいても気づけたのかもしれません。

 結局、「生きにくい」と自分を一番縛っていたのは自分だったのです。自分の中で楽しめるものを見つけることなく、社会から見られる姿を常に意識していました。そして、そういう「私」で居続けなければならないと、勝手に自分にどんどんプレッシャーをかけていました。

 大好きなものがあるという幸せは、自分でしか見つけることができないものだと思います。一茶にも、自分の大好きなものを見つけてほしい。「オタク」、最高です!

 この本を読んでいただいた方に、少しでも自分なりの「すっきり、楽しく、自由」な暮らしを見つけるヒントを感じていただければと思いながら、今日もミシガンでマルと一茶を撮り続けています。

新潮社 波
2016年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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