「どうやらあがったようだわ」から始まる、更年期女性の思いがけない出会い

レビュー

3
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

彼女に関する十二章

『彼女に関する十二章』

著者
中島 京子 [著]
出版社
中央公論新社
ISBN
9784120048449
価格
1,620円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

「どうやらあがったようだわ」から始まる、更年期女性の思いがけない出会い

[レビュアー] 小山太一(英文学者・翻訳家)

「どうやらあがったようだわ」という冒頭の一言から、五十歳を迎えた宇藤聖子の生活が波立ちはじめる。ひらがなだけの一行が、本作の柔らかな挑発性を予告しているようだ。

 私の好きな場面を挙げよう。聖子は、亡き初恋の人の息子から、ある告白を聞いている。米国育ちの青年は、自分は日本にいつまでいるか分からないから、シリアスな恋愛をするのはよくないと思ったと切り出す。その目を伏せた表情に、聖子は美術館で見たばかりの〈ピエタのキリスト〉を重ねて感じ入る。

 ところが、青年の告白は聖子の予期しない方角に向かう。シリアスな関係を作らないと決めた途端にモテだしたので、同時に三人の女性と付き合っているというのだ。続く一節を読んで、私は思わず吹き出した。

「聖子はここで発すべき擬音について思いを巡らせ、『ちええ』というのを思いついたが、秋の上野公園で鼻の頭に皺を作ることは自粛した」

「ちええ」がいい。場違いでありながら絶妙の選択だ。以前、編集者である夫から尾崎紅葉の『金色夜叉』について聞かされた聖子は、貫一がお宮に浴びせる罵言の中の「ちええ」という古風な間投詞を心にとめていた。その「ちええ」が今、初恋の人の息子らしく高潔でいてほしかった青年の性的軽率を知ってしまった動揺の捌け口として、聖子の心中でいささか滑稽に処を得たわけである。

 落胆の「ちぇっ」ではなく、驚愕と情動の「ちええ」。齢五十に達し、息子は独立し、夫との地味な毎日を「どうにかやつてはゆくのでせう」と中原中也の詩を引いて考えたりもする聖子だが、その日常は実のところ、意外な動物性を帯びた「ちええ」に満ちている。深浅とりまぜた思い乱れが彼女を襲う。人生は決して「きっぱりとはあがらない」のである。

 行き届いた語りの文体は控え目なユーモアを漂わせつつ、要所要所で読者に薄氷を踏ませ、肝の冷える思いを味わわせてくれる。ちええ。

新潮社 週刊新潮
2016年5月26日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • このエントリーをはてなブックマークに追加