夫婦にまつわる四つの奇妙な物語 「ニセモノ」妻と「ホンモノ」探し
[レビュアー] 石井千湖(書評家)
『ニセモノの妻』は、夫婦にまつわる四つの奇妙な物語を収めた作品集だ。冒頭の「終の筈の住処」は、結婚して分譲マンションを購入したばかりの「私」が、ジョギングに出る場面で始まる。
蛇行する川に沿って整備された遊歩道。クッション性のある素材で舗装された路面は足に伝わる衝撃を和らげるが、「私」は〈自分が今、「ここにいる」ということがうまく把握できないような不安〉に襲われてしまう。さらに来た道を戻りがてら終の住処になる予定のマンションを眺めると、光の灯る窓が一か所しかないことに気づくのだ。時刻はまだ夜の八時で、部屋は完売しているはずなのに。
他の住民はほとんど姿を見せず、マンションから離れた地域になぜか建設反対のノボリが林立する。その後も新居の周囲では不可解な出来事が起こるのだが、窓の灯りひとつで、現実から少しだけ浮遊した世界へ読者を誘うところが見事だ。
表題作は〈ある日突然、一人の人間とまったく同じ「ニセモノ」が出現してしまう〉感染症が蔓延するパラレルワールドが舞台だ。語り手の「僕」の妻が〈……もしかして、私、ニセモノなんじゃない?〉と言いだす。昨日までの妻と身体的特徴は全く変わらず、記憶も持っているが、ニセモノの自覚が芽生えた時点で「人」とは認められなくなる。「僕」はニセモノの妻と一緒にホンモノを捜すことになるが……。
いくつかの冒険を経て、「僕」はニセモノの妻と離れがたくなる。やがてニセモノとホンモノを見分けなければいけなくなったときに、「僕」の眼に止まるものが悲しい。愛する人を他人と区別するのに、そんな方法しかないのかということに愕然としてしまう。夫婦という関係の拠り所のなさを実感する。赤の他人がひとつ屋根の下で暮らせば、さまざまな違和感も覚える。それでも人間は、誰かと共に生きずにはいられないのだ。