幸田真音 刊行記念インタビュー「1964年の東京オリンピック誘致に奔走する男たちを描く大作」

インタビュー

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1964年の東京オリンピック誘致に奔走する男たちを描く大作。〈インタビュー〉幸田真音『この日のために 池田勇人・東京五輪への奇跡』

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 白いジャケットに身を包み、にこやかな笑顔で現れた幸田真音は、開口一番『この日のために』という曲はご存じですか?」と質問した。「いえ……」と首を傾げる私にこう続けた。

「前回の東京オリンピックの歌というと『東京五輪音頭』が有名ですが、『この日のために』という曲は、当時中学一年生の私にはすごく印象的でした」

 帰宅後、インターネットで検索すると軽やかな行進曲が流れてきた。大会に関わったすべての人を鼓舞する明るい歌詞。リフレインの「東京オリンピック オリンピック歌え」が印象的だった。

■歴史を経済の視点から見直す

幸田 一九六四年の東京オリンピックを開くため、国民全員が「この日のために」頑張ってきたという記憶があって、今回の小説のタイトルはすぐに決まりました。

──東京オリンピックの時代をテーマに選んだのはなぜですか?

幸田 歴史を経済から見直してみると、まったく違う景色が見えてくることがあります。大きな時代の転換点を経済の視点から描いた物語を書こうと思って、もともと私のなかで四部作の構想がありました。

 最初は江戸幕末、彦根藩の井伊掃部頭の下で湖東焼という焼き物を作り上げた、今でいうベンチャー企業を描いた『あきんど 絹屋半兵衛』(文春文庫)、次は日露戦争の戦費調達や昭和初期の金融危機の解決に奔走した高橋是清を描いた『天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債』(角川文庫)。今回は、終戦処理から東京オリンピックの開催までの経済的復興を支えた池田勇人にまず注目しました。最初は大蔵省の官僚として徴税を担当し、国家予算を賄うことに必死になりますが、のちに政治家になると国民のためにどうやって減税するかを考えていきます。彼が首相になって四年後に東京オリンピックが開催されましたが、これこそ戦後復興の総仕上げですよね。

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 オリンピックを支えた人は数多くいますが、東京招致の立役者はやはり田畑政治です。彼は水泳選手の育成を通じ、オリンピックを日本に呼びたいという強い希望を抱いて、戦争で中止になってしまった一九一五年の大会招致にも尽力しています。まさに「この日のために」情熱を傾けた田畑さんと、それを経済面から支えた池田さんという最強のコンビになりました。

 日本の経済発展と同時に、この大会はオリンピック自体の大きな転換点でもありました。選手村の食材を保存するために初めて考え出されたのが冷凍食品の技術だったことも画期的ですが、民間警備、ピクトグラムの表示、エンブレム、パラリンピック開催なども、この東京大会を機に始まっています。

 日本人自身もあの大会を境にずいぶん変わりました。「公共」という意識が高まるようになり、下水道を完備し、ゴミ箱を設置し、道路を整備した。海外から誰が来ても恥ずかしくない国にしようと学校で教育されたのです。

 オリンピックを成功させようという国民の気持ちががっちり一致した、そういう時代でした。

■驚異の復興を支えたもの

──国民の強い気持ちを後押ししたのが経済の急激な成長ですね。

幸田 黄金の六〇年代と言われるように、日本経済にも十一パーセント、十二パーセントと二桁成長を遂げた時代があったのです。それに伴い、敗戦で挫けていた人々の気持ちが前向きになっていく。日本にもそういう時代があったということを今の若い方にも知ってもらいたいですね。

──「一億総活躍」というスローガンを安倍内閣が出していますが、池田勇人の言葉を引き継いでいるように思えてなりません。

幸田 今と違うのは、上からの押し付けではなく、国民のなかから自然と気運が盛り上がってきたこと。その気持ちが結実した象徴がオリンピックだったと思います。

──開会式前夜、病床に臥せる池田勇人が翌日の天気を非常に気にしているのが印象的です。

幸田 物語の冒頭は、前夜の雨のシーンから書き始めようということは最初から決めていました。いくら恵まれた人でも病気には勝てないし、寿命には抗えない。でも、開会式当日は奇跡的に晴れた。その運さえも彼自身が呼び寄せたものだと思うのです。

──この小説は非常に筆が乗ってお書きになっているように思えました。

幸田 そう感じていただけたのは嬉しいです。新聞連載だったのですが、連載のスタートが二か月くらい前倒しになってしまい、書くことと調べることを並行して、物語を作ることになりました。近い時代のことなので、特に池田さんについては記録や資料も豊富で、人々の記憶もある。嘘は書けないというのがプレッシャーになりました。

──一方、田畑政治についてはかなり自由にお書きになっている印象を受けました。

幸田 池田さんでは書きにくいことを、田畑さんを緩和剤みたいな役として書くことで物語が広がったと思います。

──二人が育ってきた環境も似ていますね。

幸田 歳も一歳違うだけですし、ともに若いときに大病を患い、人生の挫折を味わっています。片や政治家、もう一人は新聞記者。その接点も取材中に発見し、魅力的だと思いました。

池田勇人は受験に失敗し大病を患い、一度は役所を辞めさせられています。田畑政治も水泳が得意で選手になることを夢見ながら、病気で泳ぐことができなくなる。しかし、そこで落ち込むことなく選手育成を目指し、新聞記者をしながらオリンピック招致に奔走していきます。二人とも、人のために何かをしようとする姿に共感を覚えました。

──まさに挫折からの成長を描いた小説だと思います。決してあきらめない姿から勇気をもらいますね。

幸田 失敗から得るものって本当に多いし、我欲を捨てると強くなれる。新しく社会に出た若者たちが、最初の挫折でつぶれてしまうのではなく、そこから成長していくことが大切なんだ、と伝えたいですね。経済の現場ではよくOJT(On-the-Job Trai ning)という言葉を使います。現場で仕事をしながら学んでいく、というやり方なんですが、私自身、そういう人が好きなんです。

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■優秀な宰相とは

──この小説の中で、池田勇人のひととなりがとてもよく伝わってきます。

幸田 池田さんはよく「僕はバカだから」とか「僕は赤切符だから」(鈍行列車のような人生という意)とか口にするのですが、普通は首相ともなれば、逆に強がって見せるものですよね。でも、彼の場合は平気で弱みを見せる。だから彼を支えようと優秀な人が集まってくる。本当に強い人だからこそだと思います。

──宮澤喜一、大平正芳など、その後の日本の舵取りをする人たちが集まっています。

幸田 首相に対しても怯むことなく歯に衣着せぬ意見を言う人たちです。まさに切れ者といった感じの宮澤さんと、こうと思ったらテコでも動かない大平さんとは非常にいいコンビだったと思います。その二人を池田さんは上手に使いこなしている。優れた政治家とは、人材を適所に配置し、その能力を最大限に発揮させる人。本物の力を持っている部下を見抜き、任せる勇気を持たないとできることではありません。彼に起用された人は、自分を認めてくれた上司に対し粉骨砕身、努力を惜しまない。池田さんは側近に恵まれていました。

──側近たちが政局をみて、経済方針を立てた集大成がオリンピックだったのですね。

幸田 意外に書かれていないのがお金の話なんですが、日本人のなかにはそういう話になると尻込みして、真正面から見ようとしない人も多いように思います。いつの世でも様々な問題の裏には、貧困や生活難があります。政治家はそれを正視しなければなりません。

 しかし高邁な思想を持ち、私利私欲のない立派な人格者であっても、誰かから足を引っ張られ、引きずりおろされることもある。国のトップに立つ人は、側近の目を通してあらゆる情報を吸収することも必要です。

──池田勇人が訪米し、ケネディ大統領と会談をしたときの出来事が、その後の日本の首相とアメリカ大統領の特別な関係をつくったようですね。

幸田 ポトマック川に浮かぶ船の中での親しく胸襟を開いた日米首脳会談や、そもそもそうした外遊に奥様を同行させること、女性を大臣に登用したこともですが、すべて総理大臣として池田さんが始めたのです。外交については、国民に向けてだけではなく、国際社会に向けて日本の存在をアピールする必要があるのだと、大蔵官僚時代の渡米経験で身をもって学んでいたからでしょう。

──資料には現れないような、家庭内の話などがとても詳細に描かれていました。どうやって取材をなさったのでしょうか。

幸田 連載が始まってからわかったことで、実はビックリしたのですが、幸いなことに前々からご家族を存じ上げていましてね。今でも池田さんのお嬢さまやご親族の方々とも仲良くさせていただいています。お酒をどういう順番でどれだけ飲まれたかとか、首相になったとき家族に覚悟させるためにされたことなど、身内でなければ知りえないことも、たくさん伺うことができました。

──池田勇人は「名言」が多いですね。舌禍もありましたが、今でも印象に残る言葉を発しています。

幸田 本来の意図が曲解され非難を浴びた「貧乏人は麦を食え」は有名ですし、「私は嘘を申しません」は流行語にもなりましたね。「所得倍増計画」というスローガンは、今の安倍内閣に真似されているのではないかと思ってしまいます。

■二〇二〇年に向けて

──二〇二〇年のオリンピックは問題が山積し、人々の熱狂もまだ少ない気がします。

幸田 あの時代と単純に比較することはできませんし、前の大会も、実際は綱渡りのような状態で開催されたわけです。日本人って不思議で、新しいことにはちょっと斜に構え、冷ややかで批判的な声をあげがちです。でも会期が迫ってくると急に熱狂的なムーブメントになるんです。なので一年前くらいになれば、様子は変わってくるかもしれませんね。

──高速道路や新幹線は、オリンピックのために造られたように思われています。

幸田 ちょうどその時期に合わせたように見えますが、前々から計画されていたけれどなかなか進まなかった。そこへオリンピック招致となったことで、池田さん率いる政府が強くもう一押ししたのです。東海道新幹線はオリンピック開会式の九日前に開通したんですよ。賛否両論あって非難囂々のなか完成した新幹線が、今では日本中を走る欠かせないインフラとなっています。

──二〇二〇年のオリンピックに対してはどう思われていますか。

幸田 並列に語ることはできませんが、せっかく一つに集約されたエネルギーを、会期終了後に雲散霧消させないためにも、その次の目標を早く掲げる必要があるでしょうね。前回はすぐに大阪万博が続きました。現在は、日本だけではなく、世界の経済情勢が激動期に入っています。今までの常識が覆され、新しい世界が築かれる可能性もあります。オリンピックの開催だけでなく、その後の様々な問題をどう解決するのか、政府の手腕が問われるところでしょう。

──池田勇人と田畑政治が光の部分だとしたら、私には大蔵官僚でのちにオリンピックにも関わる津島壽一という人が対照的に思えました。

幸田 津島壽一という人は、高橋是清の右腕とも言われた官僚で、高橋が暗殺されたあとも外債の借り換えなどで活躍しています。大蔵省に復帰した池田さんを主計局長に抜擢したのもこの人ですが、東京オリンピック開催二年前に起きた不祥事で、事務局長だった田畑さんを道連れにして、理事長を辞めてしまいます。二人には強い確執があったようですが、あまりにも田畑さんが気の毒でした。

 スノッブでエリート臭があり、池田さんや田畑さんとは全然違うタイプですよね。終戦直後の混乱期に大蔵省に復帰し、ヤミ市の一軒一軒を回って商売の実態を見極め、税金を集めて回った池田さんとは対照的です。現場力があって数字に強い池田さんにはかないませんよ。

──現場を見ずに理論だけで税金を決める津島壽一のやり方が、最近の保育園の待機児童問題に対する安倍政権ないし男性議員の姿とダブります。

幸田 過激とも言える金融政策についてもそうなのですが、そのあたりには作中に私の憤りが現れているのかもしれませんね。今の政治家には、現場の実務を熟知した人が少なすぎますから。

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幸田真音(こうだ・まいん)
1951年生まれ。米国系銀行や証券会社で、債券ディーラーなどを経て、 95年『小説 ヘッジファンド』で作家に。 2000年に発表した 『日本国債』は日本の財政問題に警鐘を鳴らした作品としてベストセラーになり、国内外から注目を浴びる。『天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債』で新田次郎文学賞を受賞。

取材・文|東 えりか 撮影|ホンゴユウジ

KADOKAWA 本の旅人
2016年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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