ささやかな奇蹟の年に……「体育の日は、絶対10月10日でなくてはならない」

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この日のために 上  池田勇人・東京五輪への軌跡

『この日のために 上 池田勇人・東京五輪への軌跡』

著者
幸田 真音 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041023402
発売日
2016/04/25
価格
1,728円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

この日のために 下  池田勇人・東京五輪への軌跡

『この日のために 下 池田勇人・東京五輪への軌跡』

著者
幸田 真音 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041036334
発売日
2016/04/25
価格
1,728円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

ささやかな奇蹟の年に……

[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)

 読者諸氏は、一九六四年の東京オリンピックのテーマソングは、と問われれば、大方の人が三波春夫が歌った「東京五輪音頭」(宮田隆作詞、古賀政男作曲)を挙げるだろう。

 しかし実際には、オリンピックをテーマに十曲を超える歌がつくられ、その中に一九五五年、日本体育協会とオリンピック組織委員会が選定し、文部省(当時)とNHK、そして民放連が後援し、三浦洸一らが歌った「この日のために」(鈴木義夫作詞、福井文彦作曲)があった。

 この上下二巻に及ぶ物語は、文字通り、「この日」=一九六四年十月十日の東京オリンピック開催の日に向けて、生命を懸けた男たちの姿を描いたものである。

 いまさら紹介するまでもなく、幸田真音は『小説 ヘッジファンド』で作家デビューし、『ランウェイ』『スケープゴート』『日本国債』等、経済小説、企業小説の書き手として知られてきた。

 しかしながら、誤解のないように記しておけば、彼女の書くものは、一時期流行したサラリーマンの副読本的なそれとは明らかに一線を画し、経済という切れば血の出る生きものを通して現代の財政問題に警鐘を鳴らす優れた作品群である、ということだ。

 その幸田作品に一つの転機をもたらしたものが、新田次郎文学賞に輝いた『天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債』である。この力作によって、彼女は、経済小説ばかりでなく、現代史を扱った歴史小説のジャンルにまで足を踏み入れ、成功したことになる。

 そして『この日のために 池田勇人・東京五輪への軌跡』も、現代史を扱った歴史小説ということができよう。

 主人公は二人いる。

 一人は池田勇人。「貧乏人は麦を食え」「私は嘘を申しません」などの放言─これらは多分に曲解されているのだが─で知られ、オリンピックによる経済成長策を打ち出した総理である。広島県の素封家に生まれた勇人は、大蔵省(当時)を経て政治の世界へと身を投じる。

 もう一人は田畑政治。静岡県に生まれ、水泳選手としての挫折を味わい、朝日新聞の政治部記者となった彼は、戦後、スポーツ面からの日本の復興を考え、いちはやくオリンピックの誘致を考える。彼の胸中には、戦前、まぼろしとなってしまった東京オリンピックへの思いがあるのだ。

 そして、この二人の男の、いや何人もの男たちの思いがクロスしたところに総額二六五億三四〇〇万円(関連事業を含めると九六〇八億二九〇〇万円)という巨費を投じた一九六四年の東京オリンピックの成功があるのだが、私はいちいちその気の遠くなるようなゆくたてを、ここに記そうとは思わない。

 ただ私がいいたいのは、この小説が、ほとんど信念だけで書かれている、ということだ。そういう作品に出くわすのは、何年に一度、あるかないかだ。

 ジャパン・プライド─この作品を貫くのは正にそれだ。

 ああだこうだといって、一向に進まない二〇二〇年東京オリンピックに較べて、本書に登場する男たちの決断、無念、希望、挫折はどうだ。池田、田畑の二人は、まるで、一九六四年東京オリンピックを成功させるために天が遣わした〈花神〉ではないか。

 極東の小国日本が、焼野原となった首都東京を十数年で復興させ、世界中の人々を招いてオリンピックを行う。これは正に一つの奇蹟といっていいのではあるまいか。

 だから体育の日は、毎年くるくると変わるのではなく、絶対、十月十日でなくてはならないのだ。

 と、今年のカレンダーを繰ってみると、何と十月十日が体育の日ではないか。このささやかな奇蹟を見ると、本書の出版は、もはや必然に思えてくるのである。

KADOKAWA 本の旅人
2016年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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