『模範郷』 リービ英雄著

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模範郷

『模範郷』

著者
リービ 英雄 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087716528
発売日
2016/03/25
価格
1,512円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『模範郷』 リービ英雄著

[レビュアー] 稲泉連(ノンフィクションライター)

「言葉」の源流への旅

 リービ英雄は越境の作家と呼ばれる。1950年にカリフォルニアで生まれ、父親から日系人の名前が与えられた。父の仕事の関係で幼少期に台湾で暮らした彼は、同じように10代後半の一時期を東京で過ごし、アメリカで万葉集の英訳を手掛けた後に再び80年代の日本へ。「星条旗の聞こえない部屋」でデビュー、続く「天安門」では英語を母語とする西洋人として芥川賞候補になった。

 本書はその彼が日本語作家としての四半世紀を超えるキャリアの中で、いつかは書かねばならないと思いながら、容易には語り得ぬ記憶であり続けた「家(ホーム)」と「故郷(グーシヤン)」をめぐる物語だ。

 リービ英雄の育った50年代の台湾とは何か。それは日本統治時代の痕跡が町に色濃く残り、蒋介石の国民党が中華民国の臨時政府を台北に置いた時代だ。「模範郷」とは戦中に日本の軍人が暮らした住宅地のことで、彼はその日本家屋から「三世紀前の英語」の聖書を読む――例えば空を「sky」ではなく「firmament」とまずは習うような宣教師学校に通った。

 1945年以前の日本と1949年以前の中国、そして古き時代のアメリカ。いわば三重の「幻」に取り囲まれて育った経験は、自らがかつて愛した「日本の近代」の面影を探し、大陸のまだ都市化されていない辺境を西洋人として旅する、という現在の彼のテーマへ流れ込むものだろう。その意味で50年の時を経て模範郷を訪れ、どこまでも括弧つきの「故郷」を濃密な文体で描いた本書は、彼にとって自身の「言葉」が生じる源流への内的な旅であった。

 父の部屋から聞こえてきた夢とも思われる「支那の夜」のレコードの旋律、アイデンティティを巡る個人的な記憶。そこにアジアの近現代史が覆いかぶさっていく。絡まり合った記憶の謎を解くために、あるいは語り得ぬものを語るために、リービ英雄は小説を書かなければならなかった。そんな切実さが胸の奥に響く。

 ◇りーび・ひでお=作家、法政大教授。1989年から日本に定住。『千々にくだけて』で大佛次郎賞。

 集英社 1400円

読売新聞
2016年5月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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