『うた合わせ 北村薫の百人一首』
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ミステリ作家・北村薫による“短歌解読” 想像力豊かな人ほど誤読が多い!?
[レビュアー] 東えりか(書評家・HONZ副代表)
北村薫には二つの顔がある。多くのファンを持つミステリ小説家の顔が一つ。もう一つは鋭い読み解きをする文芸評論家としての顔である。
もともと高校の国語教師をしていたからだろう。教えることに慣れている。評論を読みながら自然と「先生!」と呼びたくなるのだ。『詩歌の待ち伏せ』シリーズでは、鑑賞は身勝手にしてはならないと強く感じさせられた。小説でもノンフィクションでもそれは一緒のことだと思う。
今回は現代短歌の詰め合わせ。北村薫の設計が冴えわたる。章の題名は冒頭二首の共通項が選ばれている。そこから連想される様々な歌を通しての考察は多岐にわたり、行き着く先が全く見えない。ミステリ作家の面目躍如だ。
「ひとり」と題された第四三章では、とても有名な石田比呂志の“誰か来んかなあ誰(だ)あれも来るな”が紹介されたあとに、突然、大森益雄の“大角豆”の歌が来る。ささげと読むことから、次に来るのが鴨長明『無名抄』。あれあれどこへ、と思う間もなく、ちゃんと最後は「ひとり」に着地し驚かされる。
「短歌俳句は作る人でなければ、本当に味わうことはできない」そうだが、末尾の鼎談で北村本人は短歌を作らないと告白している。歌人の藤原龍一郎と穂村弘が、北村薫の読み方を「ヤバい」と評す。作り手だと禁じ手になってしまう鑑賞の仕方や、「えっ」と驚く北村の解釈に冷静な分析が付される。想像力が優れている人ほど誤読が多い、というのも面白い。
一人では味わいきれない短歌の魅力を、誤読を恐れずに語る北村薫流の読みに魅了される。本書で紹介された短歌の総数は五五〇首。それにしても北村先生はどれだけ短歌を読んでいるのだろう。
近頃では、年齢性別を問わず句会や歌会が盛んになっていると聞く。だがまずは先達たちの素晴らしい歌を味わいたい。本書はその一助となってくれるはずだ。